【ある劇場の雑役夫の話】 旦那さんおごってもらって悪いねえ、へへ。 旦那は芸能記者さんで?へぇ、例のあたしの見たことを詳しく話して欲しいんですか…。 でもねえ、旦那、これを聞いてもあたしがきちがいや酒で頭がイカれてるなんて思わないでくださいよ? これを話すと大概の人はあたしをおかしな目で見るんですから。 だってあたしも驚きましたよ。 いまだに自分の目で見たことなのに信じられないんですよ。 まさかあんな不思議な光景を目にするとはねえ…。 あたしはねどっちかと言うと「ラウラ」がこの世の者じゃないなんて言ってる連中をむしろ馬鹿にしてたんです、どんなに彼女が神秘性を売り物にしてても所詮宣伝効果を狙ってのことだってね。 けどあれを見たらそれも信じてしまいそうですよ。 いやはや全く、あんなおかしなことってあるもんかねぇ…。 ちと薄ら寒くなる話でねえ、あたしの目がどうかしたのか幻を目にしたのかあるいは夢でも見てたのかと今でも…、 え?ああ、すみませんね旦那、そうそうあれは去年の11月の舞台でしたね。 あの「ラウラ」がこの劇場で公演するって言うじゃないですか。 ここは由緒はあるけどその分古めかしくて舞台装置も旧式でおまけにさして広くもない演舞場ですからね、まさか「ラウラ」の劇団がこんな所に来てくれるとは思わなかったんですよ、そりゃ嬉しかったですね、あたしは裏方専門ですからね、なんかの拍子に「ラウラ」を間近で見る機会もあるんじゃないかと浮かれさえしましたよ。 でもいざあの劇団がこの劇場に来ておかしいって思ったんですよ。 何がって? あの「ラウラ」が個室の楽屋を使わないと聞いたことですよ。 「ラウラ」と言ったら押しも押されぬ看板女優でしょう?なのにあえて大部屋を使うって言うんですよ? ねえ、旦那、あたしを軽蔑しないでくださいよ。 だって相手はあの「ラウラ」ですよ? そりゃあちょっとした悪心の一つも起こしたくなるもんでしょう? その大部屋にはね、緞帳やホリゾントの調整や照明器具なんかを運ぶための通路が真上に通ってるんですよ。 ここだけは危険な作業になりますので劇場の者だけが入れるんですね。 なんせ舞台の真上の足場なんて柵もないただの板っきれなんですからね。 その運搬通路に何ヶ所か足元に明り取りの為の小さな覗き窓があるんです、実はそこの一つからだと楽屋が丸見えなんですよ。 いやお恥ずかしい話ですがあたしもこんな仕事をもう20年もやってますからね、美人な女優なんかが来た時は…。 あ、いけねえいけねえ、酒飲むと口が軽くなっていけねえ。 今のはオフレコでお願いしますよ旦那。 で、まあ、通し稽古やら場当たりのときはもちろん本番さながらですから「ラウラ」も衣装を着けて舞台に上がっててその姿は確かにそこにあったんですが、夜も更けて劇団員達が引き払う時には「ラウラ」らしい女優がどこにもいないんですよ。 女性の役者の姿は何人もありました。けどどれも「ラウラ」とは似ても似つかないんですね。 どうにもおかしいとはあたしたち劇場の人間もみんな思ってたんですよ。 で、本番を迎えましてあたしもどうしても気になりましてね、いけないとは思いつつも、その明り取りの窓からそっと楽屋の様子を覗ったんです。 初日の公演が終わって「ラウラ」が大部屋に帰ってきたんです、数人の劇団員に囲まれるようにして。 そのときは後姿で顔が見えなかったけど衣装は間違いなく「ラウラ」です。 そしたらおかしなことが始まったんですよ。 「ラウラ」が一番奥の鏡の前に座ると、他の劇団員たちが大きなつい立を運んできて彼女の周りをスッポリと覆ったんです、 何が始まるのかと思いましたよ。 まあ、あたしの存在がばれてたってわけじゃないでしょうがね、 最近では「ラウラ」の素顔を一目見たくてなんとかして楽屋に忍び込もうとするやつもいるらしいからその為なのかもしれませんね。 しばらくすると「ラウラ」の衣装がそのつい立の上に掛けられたんです、もちろん中からですから「ラウラ」が脱いだんでしょうね。 劇団員の一人がその豪華な衣装を持って仕舞いに行きました。 驚いちゃいけませんよ? その後つい立の一部をほんの少しだけ開けて、劇団員が三人、いずれも男でした、その中に入って行ったんですね。 残念ながら「ラウラ」の姿はこれっぽっちも見えませんでしたけどね。 まさか「ラウラ」がコルセットやらを脱いだり着替えをするのを手伝うのに男手を借りているんですかね? いやはや羨ましい話で…だって旦那もそう思いませんか? その三人のうち一人は手に着替えのようなものを持ってましたがよくは見えませんでした、まあ多分着替えでしょう。 またしばらくしてから、つい立をちょっとだけ開けて一人が大きな箱を抱えて出てきました。 次に二人目が、多分コルセットやペチコートでしょうね、それらを持って同じように出てきました。 最後の一人はラウラの着けてたネックレスやらアクセサリーやらでしょうか、宝石箱みたいなのを持って出て行ったんです。 これで中にいるのは「ラウラ」一人ですよ。 あたしは「ラウラ」が出てくるのを今か今かと待っていたんです、それこそ明り取りの窓枠に顔を押し付けてね、 あんときゃしばらく顔に痕が残っていましたよ、旦那、笑っちゃ嫌ですよ。 ところがですよ? 一人の男が向こうの奥側からつい立を再びたたみはじめたんです。 それから数人が手伝ってつい立を手際よく薄っぺらくなるまでたたんでいきました。 中からようやく「ラウラ」のお出ましかと思ったら…、これは誓って本当ですよ、あたしが何かに化かされてたんなら別ですがね。 つい立はきれいに折りたたまれて運ばれていきました。 その中に「ラウラ」の姿がなかったんですよ。 いや「ラウラ」どころか人の姿がなかったんですよ。 だあれもいないんです。 文字通り消えちまったんです。 旦那、嘘だと思ってるでしょう? でもねこれはまったく本当のことなんですよ、中から女は出てきませんでした、神に誓いますよ。 箱? ああ最初の男がもって出てきた箱ね。 あれに人間が入るのは無理ですよ、大きな箱ったって人ひとりが抱えて運べる大きさですからね。 何が入っていたのかは知りませんがね。 たいした大男じゃなかったですが軽々運んでましたよ、まあ…「ラウラ」がカラッポ操り人形だってなら話は別ですがね…。 第一女一人を箱詰めにして運ぶ理由なんて分りませんでしょ。 とにかく「ラウラ」は淡雪かなんぞのように完全に消えちまったんです、これは本当のことですよ。 さすがにあの時は鳥肌が立ちましたね…。 それ以降、公演が終わるまでとてももう一度覗こうなんて思いもしませんでしたよ。 もしかしたら「ラウラ」ってのは本当にこの世の女じゃないのかもしれませんぜ…? まあ、旦那が信じるかどうかはお任せしますがね、とにかくあたしが見たのはこれで全てです。 酒ご馳走になりましたね、じゃ、あたしはこれで…。 ※衝立の中に入って出た男は間違いなく三人だが、この雑役夫は衝立を最初にたたみ始めた「男」の存在を見落としている。 ※箱の中身は多分カツラだろうなあ。 |