【酒場にて】 彼が珍しく酔っ払って帰ってきた。 私は「こんな遅くまでどこをほっつき歩いてた」と語尾をきつくして尋ねた。 「…お酒飲んでました…喉渇いた、水ください…」 彼はそれこそ耳まで真っ赤にしながらテーブルに肘を付いてずいぶんと気分が悪そうに俯いていた。 「お前、二日酔いで明日の舞台に立てないなんて言い訳はさせんぞ?」 私は呆れながら彼にグラスを手渡す、本当に、彼にしては本当に珍しく、足元が覚束ないほどに泥酔していた。 何があったのか知らないがひどく荒れているのは分った。 最近の彼はずっと挙動が落ち着かない。 塞ぎこんでいる事もあれば逆にやたら陽気に振舞ったりする。 その原因は分りきっているのだが…。 私は何があったのか一応聞いてみた。 多少支離滅裂ながらも彼が言う事をまとめるとこの様なことらしい。 パブで一人酒を引っ掛けていたら「ラウラ」のファンらしい男たちが隣のテーブルで彼女の話題に花を咲かせていたのだそうな。 そんなものはどこでも見かける光景だ、だがこのときの彼は腹に据えかねるものがあったらしい。 酔った勢いで男らに向かって「ラウラ」の悪口をわざと大声で話し始めたそうだ。 ―「ラウラ」など何だ、よく見れば顔だって大して美しくもない、おまけにあの女の歌も酷いもんだ ―抑揚のない声だし、はっきり言って下手糞だ、その上演技も単調で表情も人形かなんぞのように硬い そんなことをファンの前で言えばどうなるか考えなくてもわかることだ。 男たちは激怒して彼に詰め寄ったそうだ。 胸倉をつかまれて危うく殴られそうにさえなったとか。 だが彼は怯みもせずに言ったそうな。 ―あんな歌、真似するのなんて簡単だ、見ていろ そういうなりテーブルの上に登って「ラウラ」の物真似をし始めたのだそうだ。 するとさっきまで殺気立っていた男たちやパブにいた人々から一転して大きな拍手をもらったとか…。 そして店内中の者達に口々に言われたらしい。 こりゃ驚きだ そっくりだ 上手いもんだ いや、たいしたもんだ よくそんな声が出せるもんだね 兄さん一杯奢るからもう一度歌ってくれないか? 物真似も何もない、本人が歌っているのだから「そっくり」なのは当たり前だ。 それを聞いた彼は急に馬鹿馬鹿しくなってテーブルに金を叩きつけるように置いて群がる人たちを乱暴にかき分けてパブを出てきたということだそうだ。 それにしても大事に至らなくて本当によかった。 芸は身を助くというが、本人が本人の物真似をして褒められるなんておかしな話だ。 だが当然私は叱った。 そんな真似をして万が一顔でも殴られていたら明日の公演はどうするつもりだったんだ、と。 「ラウラ」が仮面をつけて舞台に上がる気か?と。 それに対して早々にベッドに横になった彼は背を向けて何も答えようとしなかった。 酔っ払いに何を言っても無駄か…せめて明日の公演に響かなければいいがと私は思った。 半ば呆れながらもとりあえず今日はもう寝かせてやろうと思い、踵を返した私の耳に彼の小さなつぶやきが聞こえた。 ―もう、「ラウラ」になんか… 言いたいことはよく分っていた。 だがもう引き返せないところまできてしまったのだ…。 彼だけが悪かったわけじゃない、誰が悪いかと言えば我ら全員だ。 しかし彼も私も、そして他の劇団員達も感じているこの憤りをどこにぶつければいいのか…。 もう限界なのかもしれない。 私は漠然とながらこの先の我々の運命を感じていたように思う。 |