Happy Valentine



 「今日はなんだか町がにぎやかだったが、何かあるのか?」



夕飯の買い出しから帰ってくるなり、書斎に入ってきた蛙男が佐藤に尋ねた。
佐藤は書棚を整理していた手を止めて一瞬考える。

「…?ああ、そういえば今日は14日でしたね。」

「何か特別な日なのか?」

「バレンタインデーですよ、ご存知ないですか?」

「知らん。何だそれは。」

怪訝な顔をして答えた蛙男を見て、佐藤は持っていた本を棚に入れてしまってから説明を始めた。
その後ろでは松下が、その体がすっぽりおさまってしまうような、不釣合いに大きな肘掛け椅子に座って片っ端から本を読み散らかしている。
佐藤はさっきからその読み終えられた本を片付けていたらしい。

彼がその作業を中断したため、きれいになりかけていた部屋には再び何冊もの本が散乱し始めた。
蛙男の質問と佐藤の丁寧な解説が繰り返される中、松下は床に届かない足をぶらぶらさせながら古い魔術書を読みふけっていたが、途中でふと顔をあげた。

「……ので、それから日本ではチョコレートを贈るという習慣ができたんです。」

「それで店にチョコレートばかり並べてあったわけか。」

これで合点がいったという表情で蛙男が頷いていると、突然松下が口を出した。


「要するに、企業の戦略のひとつということだ。」


「メシア、聞いていらしたんですか。」

「まあな。」

少々驚いた二人の様子は気にとめずに松下は言葉を続けた。
「クリスマスでもなんでも同じことだ。日本は宗教的に比較的自由だから、大概の行事は取り入れてしまう。そこへ金儲けのために企業が宣伝をして、結果日本独自の習慣が出来上がるわけだ。」

とうとうと自分の意見を述べるとまた膝の上の魔術書に目を落とす。
それを聞いた蛙男が、さもありなんといった様子で頷いている。

「金儲けのためには何でも利用するのだな、今の世の中は…」

今度は蛙男の演説が始まりそうになったところで、また松下が口を開いた。


「だが、多くの人はそれを楽しんでいる。こういうことの定着が早いのは、
日本人が祭り好きなこととも関係あるんだろう。」


「はあ…」

いまいち意図が読めない会話に佐藤は曖昧な返事をしてしまった。
松下にしてはめずらしい話の展開である。
企業の金儲けなどということに対して、まるでフォローとも取れるような言い方をするなどありえないことだ。
しかし蛙男は気にならないらしく、メシアのご意見を拝聴できたということで満足そうな顔をして夕飯を作りに台所へ行ってしまった。
佐藤も終わってしまった会話なので気にしないことにして、広がった本の山に取り掛かろうとした。
と、松下が今まで読んでいた本をたたんで椅子に置き、部屋を出て行こうとした。

「メシア?どちらへ?」

「飲み物を取りに行ってくるだけだ。すぐ戻る。」

「コーヒーですか?でしたら私が…」

「いい。お前は本を片付けていてくれ。」

「…はい。」

メシアにそんなことをさせたらあとで蛙男のお小言を喰らいそうだ、などと思ったが、
どうやら自分にはどうしても行かせてもらえないだろうという空気を感じたので、とりあえずは言う通りにすることにした。
先程からどうも気になる言動が多い。
しかし考えてもわからないので作業のほうを進めていった。

しばらくして、戻ってきた松下は両手にカップを抱えていた。
そして彼が入ってくるのと同時に、甘い香りが部屋に立ち込める。

「あれ?コーヒーじゃなかったんですか?」
「コーヒーだよ、ぼくはね。」

そう言いながら、片方を机の上に置くと、もう片方を佐藤に突き出した。

「あ、すみません、わざわざ…」

小さな手から受け取って、その中身に気付く。

「ココア、ですか?」

自分が甘いものはあまり得意ではないことを松下は知っているはずである。
それなのにわざわざ自身のとは別に持ってくるとは。
何か気に障ることでもしてしまったのかと、不安な想像が頭をもたげる。


「…ココアは、ホットチョコレートとも言うんだぞ。」


すでに椅子に腰掛け、本を広げていた松下が急に言った。
「え?」
驚いて顔を上げたが、大きな本の間に隠れて表情は見えない。
「今日一日書斎にこもらせてしまったからな。会社にいたころはたくさん貰っていたんだろう。
それに、本も片付けてもらったしな。」
それだけ一息に言うとまた黙ってしまった。
一方の佐藤は、思いもよらぬことに完全に呆気に取られてしまった。
そんなことに気を遣ってくれたのだろうか。
「早く飲め。冷めるぞ。」
わざとらしく乱暴な物言いが、かえって照れ隠しだと言うことをわかりやすくしている。
そうやって考えると、さっきの理由もなんだか取ってつけたもののような気がした。
本の隙間から、ちらりとこちらを見る様子が窺える。
「ありがとう、ございます。」
柔らかく微笑んで、カップに口をつけた。
甘い。普段なら苦手なその甘さが、とても温かかった。





その晩、夕食が並ぶテーブルの、佐藤の席だけに何故か色とりどりの箱が積み上げられていた。
「あの…蛙男さん、これは…?」
「お前宛だ。」
毎日家の前を通る女子高生やら、近所の主婦などから言付かったらしい。
「お前の今日の夕飯だ。」
「ええっ?」
何やら怒っているようである。しかしまったく心当たりがない。
「ええと…甘いものはあまり…」
「液体が飲めるのなら、固体だって同じことだろう。」

「!」

どうやら書斎での松下とのやりとりを聞かれていたらしい。言葉に刺がある。
困り果ててそもそもの原因となった松下に視線を向けると、フォローを入れる様子もなく、佐藤にだけ聞こえるようにぼそりと呟いた。

「それだけ貰えるなら、ぼくがああする必要もなかったわけだ。」
そう言うとそっぽを向いてしまった。

その夜、佐藤は結局夕飯にありつけなかった。




HappyValentine 改題 2月14日の悲劇 ―



「ルシア」さんから頂戴したヴァレンタイン小説です!

ありがとうございます。

松下の言動が可愛いですね。
「ありえない」とおっしゃる向きには、
ありえないシチュエーションこそが二次創作の醍醐味です、と申し上げたい!

どこまで行っても可哀想なヤツですね。
蛙男と松下の嫉妬板ばさみ、いろんな意味で試練の時です。
というか彼にはもしかすると生来不運が取り憑いてるのでしょうか?
どうか負けないで強く生きていってもらいたいものです。

合掌。



今年のヴァレンタインデーにちびっと鼻血こいてしまいました(実話)