件 名 : バレリー兄弟の思い出話 「おい、暖炉に近づくなよ」 兄の何気ない一言に一瞬疑問符が浮いたが特にそれ以上は気には止めなかった。なにせそんな小言はいつものことだから。 「ああ!そういえばあれはビビが2歳のときだったかしらね」 歳相応に老けはしたがまだまだ矍鑠とした母が相変わらず俺をビビと呼ぶ、いくらそれは止めてくれと言っても聞きやしない。 だが両親ともにまだ現役の惑星間大使なのだからそのタフさに驚くやら関心するやら。 「1歳8ヶ月ですよ、お母さん」 母に生き写しの兄が若干の不満を含めた言い回しで訂正した。 年一度のバレリー家の集いは馬鹿かなんぞのように寒いここ真冬の二ビス2号星でだ。 この時期のこの地域は都市部でも平均気温-40度という極寒だ。 セントラルヒーティング完備で防寒設備が完全とはいえ薄ら寒さを覚える。 そもそもラーナー人の血を引く俺には寒すぎる環境だ、純粋なラーナー人の母にはもっと厳しいだろうに何故よりによってここでという気がしなくはない。地球人である父にとってだって優しくはないだろう。ましてや二人ともいい歳なのに。 「何がだ?いったい何の話だ」と俺が訊くと昔から豪快ともいえる笑顔の変わらない母がこちらを振り返った。かつては白金に輝いていた髪は今はすっかり艶を失ったが安心を覚える顔なのは変わらない。いかにも精神的に安定していそうな。 「あんたが大火傷を負ったときの話よビビ、暖炉の火に頭から突っ込んでね」 母が何でもないことのように言ったが兄はますます眉間のシワを深くした。 何だそれ?今まで聞いたことのない話だ。まあ1歳8ヶ月では覚えていないのが普通かもしれないがその話は家族間で一度も話題にしたことがないのではないか? 「私達が家を空けていたときだったからね、連絡を受けた時は肝を冷やしたよ」 他人曰く今の俺から険を取り去って肌を白くし髪を鳶色にしたらよく似ているだろうと言われる父が懐かしそうに目を細める。 身内が言うのもなんだが非常にハンサムで穏やかな雰囲気を纏う好人物だ。 こちらもだいぶ歳を重ねてはいるが長身で背筋も真っ直ぐに伸びている、俺の大方の美点は父から受け継いだものらしい。 だからこそ、自分の母親を悪く言うのは気が引けるが、ハッキリ言ってこの父ならどんな美人だって選びたい放題だったろうに何故この母を選んだのかというのは永遠の謎だ。だが彼は非常に愛妻家でもある。両親が愛し合っているのは子供にとっては幸福なことだろうが最早俺も兄もそんな歳ではない。 両親は仕事柄、家を空けることが多かった、だから幼い頃の俺の面倒はほぼ兄のナチが見ていた。 思い返せば両親と過ごした思い出よりも兄と過ごした思い出の方がよほど多いかもしれない。 「顔面の皮膚移植に長期の入院にと結構なおおごとだったのよ」 そんなことがあったのか、まるで記憶にない。なくて当たり前かもしれないが。 「笑い事じゃないですよ、だから赤ん坊のいる家に暖炉は危ないと散々言ったじゃないですか」 ナチがまた不満げに言った。 「私達が病院に着いたときウィルったらわんわん泣いててね」 俺とナチをビビとウィルと呼ぶのはもう両親だけだが、それはさておき、ナチがわんわん泣いただと? いや、それはその話だとナチだってまだ7歳か8歳の正真正銘の子供だっただろうが、だがナチが泣くなんて想像がつかない。 赤ん坊時代の要求代わりの泣くではなく感情的に涙を流して泣くなど。 俺が記憶している限りそんな場面は一度も見たことがない。 「あの時のことはいまだに頭から離れない」 更にそう言ってナチが深いため息をついた。 ん? おい、待て。ひょっとしてさっき暖炉に近づくなと言ったのは心配だから? 待て待て。このマントルピースはただのインテリアで火だってただのホログラムだぞ? それ以前に!今の俺がうっかり転んで頭から火に突っ込んだりするか! 目を離した隙に弟がどえらい怪我をしたのがよほど堪えたのだろうか。 だが今の医療技術なら火傷くらい痕など残さず治せるし、現に今傷跡一つ残っていないのだからナチが気に病むことなど何もないのに。 あまつさえホログラムの火にさえ近づくのを警戒するなんてどれだけ過剰な心配性だ。 大体、子供に子供を任せて事故が起きたとしたらそれは兄の責任ではなく明らかに親のだ。 ナチの目には、齢35、身長2メートル近いこの俺が、まだチビで気弱な「ビビ」に見えているらしい。 心外といえば大いに心外だ。 今の俺は兄より背丈はたっぷり高いしそれを支える筋肉だって十分すぎるほど付いている、それに今は両親と同じ大使という立派な職業についてさえいるのに。 運動神経は生来良かったのだろうがガキの頃はそれに体がついていかなかっただけだ。 けれど相応の努力はしてきた、なのに何一つ認められていないとは。 泣き虫で内向的だった「ビビ」はもういないのに兄はそれを理解しない。 これは腹立たしい。 子供時代、両親の仕事柄引越しが多かった所為で転校もまた多かった、当時体も小さくひどく内気だった俺には友達らしい友達もなかなか出来ず、その頃の俺の世界には兄しかいなかったようなものだ。 そういう事情もあるがとにかく俺には6歳年上のこの兄がやたらと大人びて見えた。 兄はおおよそ完璧で頭も良ければ喋らせても理路整然としていて誰より強くて頼もしかった。 少なくとも俺にはそう見えていた。 だから兄の気を引きたくてわざと転んで泣いて見せたりしたときも確かにあったといえばあった。 そうすれば必ずこっちを見てくれるから。 …内省的になるというのは思いのほかしんどいものだな…。 なのでナチからみればさぞ頼りないひ弱な弟に見えていたことだろう。 だがそれはほんの幼いときの話であって兄の存在は唯一絶対のものでもあったが同時に男としていつかは越えたい最初の目標でもあった。こういう場合普通は父親なのだろうが俺には兄だ。 だが昔はとてつもなく高い山のように思えたナチの存在だって考えてみればたったの6歳差だ、絶対に越えられない存在ではないはずだといつからか思うようになった。 14歳ごろに成長期が来て急激に背が伸び相応の筋肉も付き、苦手だった運動も得意になれば周りの見る目も変わってくる。 ある日、常に見上げていたナチをいつの間にか見下ろすようになっていたのに気が付いた。 本当に雨後の筍のように伸びた、おかげで一時期は酷い成長痛に悩まされたが今となっては些細なことだ。 異性にももてるようになったし成績は元々悪くなかったが実際学年トップを取るほどにもなり、売られたケンカにだって負けるためしがなくなった。 鏡に映る顔も女のようではなく男らしく精悍なものに変わった。 何をしても上手くいく。 努力は必ず結果として見えた。 その頃の俺ははっきり言えば有頂天だったと思う。 自分が白鳥だと気が付いた醜いアヒルの子とでもいうのか。 それに従って自信も付き、怖い物さえなくなっていった。 なのに兄が自分を見る目だけは変わらなかった。 視線の高さは変わってもその由来が何一つ。 一体何故だ、今の俺を認めろ、と歯がゆい気持ちにもなったが不思議と同時に安心もしていた。 兄は変わらない、いつだって俺の唯一だ。 「今まで聞いたことがない話だな」 自分の記憶にない自分の話を中心にされるのはなんとなしに居心地が悪かったので割り込むようにして訊いた。 「だってその話をするとウィルがいつも機嫌を悪くするからしないようにしてたのよ」 母がけろりといいのけた。 なるほど、その出来事は責任感の強いナチにとっておそらく人生最初の大きな失敗だったようだ。 おおよそ失敗しない完璧なナチという俺の評価からすれば手放しで泣くほどの失態はさぞ手痛かったことだろう。そういう記憶はいつまでも残るものだ。 「それは悪かったな、どうやら大変なトラウマを植えつけてしまったようだ」 極めて珍しく兄の弱みを見つけたような気がして皮肉を込めて言ってみた。 「だってお前が痛い痛いって毎日泣くんだぞ、可哀想でどうしようもなかった、今思い出しても可哀想でしょうがない」 …それほど痛がっただろうか?やはり覚えていないぞ。 怪我をした瞬間というのはは精神的なショックの方が大きいものだ、いや絶対とは言わないが、ましてすぐ病院で処置を施したなら苦痛など最小限だったはず。子供だから雰囲気で痛いと言っていたんじゃないだろうか。記憶にないから断言は出来ないが。 「なにせお前は怪我ばかりしてる子供だったからな」 と兄が言う。 「あら?ビビは男の子にしてはずいぶんおとなしい子だったわよ、むしろウィルの方が赤ん坊のときはよっぽどやんちゃだったくらい、ねえあなた」 兄の言葉を遮った母がいつも穏やかに微笑んでいるだけの父に振った。 ああそうだろうよ。 二人目はどうしても女の子が欲しくて、でも生まれたのは男で、見た目が可愛らしかったからという理由でベアトリスなどというふざけたミドルネームをつけて箱入りで育てたもんな。 4歳くらいの頃の写真にドレスを着せられた俺が写ってたことがあったな。 あれはさすがにどうなんだ。 ナチも一言くらいなにか言ってくれればよかったのに。 「ウィルったらそんなことしなくてもいいのにビビの怪我の処置をどうしても見届けたいって言い張って、お医者さんも子供に見せるのはよくないって言ったのに真っ青な顔しながらずっと見守ってたのよ」 貧富の差のほとんどない世の中とはいえどもバレリー家は裕福な家庭だったと思う。経済的にも精神的にも。 だが元々仕事が我が命の母親は俺が1歳になる頃にはもう元の職場に戻って惑星間を飛びまわっていたらしい、したがってそれでもたったの当時7歳の兄がほとんど一人で弟を育てるはめになった。 当然ベビーシッターや家政婦は常にいたが俺は家族以外には懐かない子供だったらしい。 両親は悪い親ではない、十分に愛されたと感じているし良く言えば子供を信頼していたのだろう、悪く言えば放任主義過ぎたか。 その為に兄は無駄に責任感の強い子供だったのか、なんにせよそんな環境がナチの今の人格形成に大きく影響したのは確かだと思う。 幼少の頃の記憶に、たまには家に帰って来いビビが寂しい思いをしていると、亜空間通信モニタの向こうの両親に再三訴えていた兄の姿が残っている。 だがはっきり言えば俺は両親が家にいないのが当たり前だと思っていた、寂しいなどと感じたことはなかった、兄がいればそれでよかった。 むしろ寂しかったのはナチの方ではないのか? 「大体、仕事も結構ですけど子供にも同じくらいの情熱を傾けてくれてもよかったんじゃないですか?」 お、皮肉だ、兄も母には頭が上がらない性質だがそれでも腹に据えかねるものがやっぱりあったんだな。 「あら、いつだってあなたたちのことを忘れたことなんてないわよ、ねえアナタ」 「もちろんだよ、第一ここに集まるのを最初に提案したのはウィルだけど理由を聞けば尤もだしね」 理由?ああそれはもちろん気になるところだが。 「お前が生まれた日を思い出してな」とナチ。 うん?俺が生まれたのはソラリアじゃなかったか?ニビスには来た覚えがないぞ、本当にない。ないはず。 「俺が生まれたのはここじゃないだろ?」 最初の疑問を兄にぶつけてみる。 「お前が生まれた日は温暖なソラリアの居住区第12地区にしては珍しいくらいの豪雪を記録した日だったんだ、今家族全員が集まれる範囲で、あの日に似た環境の星がここだったから」 そんな理由か。 そんな理由か! 誕生日でもないのにこの待遇とは、俺は思った以上に箱入りで育てられたらしい、だがよく見ろ、ここにいるのは守りがいのない頑丈な大男だ。少なくともこの中の誰より背は高いぞ。 腕力だって。 いや、これはナチとどっちが強いだろうか。 一度本気で取っ組み合いの喧嘩をしてみた方がいいだろうか。年甲斐もなく。 多分兄にはいつまでも越えたい一番の目標であって欲しいのだと思う。 確固とした信念の持ち主、強くて頼れる絶対の存在、それがナチだ。 多分一生それは変わらない。 それでもナチを超えたい、認められたい。 「丈夫に育ってくれたのは嬉しいけど、ビビってばこないだは大怪我したりして、子供ってのはいつまで経っても心配だわねえ」と母が言う。 「大丈夫ですよ、お父さんお母さん、こいつは何があっても一生俺が守りますから」 顔が引き攣る。 いや、だから、今更守ってもらう必要は。俺は十分強いし。その、なんだ。 「あら、ビビ顔が真っ赤」 くそ!結局いつもこうだ! END |
ブラウザバックでお戻りください。