K-KYOの徒然記

ココは管理人のばかたれが日々思ったことなどをつらつらと綴っています。
しかし基本的に根気がないので毎日更新、と言うわけにも多分行かないだろうな、と。
というか日記じゃありません、日々思ったことを綴るだけです。
更新は特に告知してません。


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02年8月27日  来る、きっと来る
夏ももう終わりに近づいたが日々の思想の代わりに一つ、私の体験した怖い話でもしようかと思う。

夏も終わりに近づいたというのに怪談話で謝。

あれは私が小学校の低学年の時だった。
その当時は家を建て替える前でその当時にしても珍しい平屋建ての一軒家だった、
その為、家の大きさの割には部屋数もすくなく、私と3つ年上の兄とは長細い作りの家の一番端にある4畳半に詰め込まれていた。

夏休みの最中だったと思う。

いつ頃からか、

この部屋にある2つの窓のうち道路(とは言っても舗装されていなければけもの道と大差ない)に面した方の窓が無性に恐かった。

理由も判らないし当時何故かなんて考えなかった、

だが、とても恐かった、恐い、などという甘い表現では追いつかないほど恐かった。
「おぞましい」と表現するのがピッタリかも知れない。

だから私は窓を開けていたくなかったのだがおりしも季節は夏、
当時子供部屋にクーラーなんて贅沢なものは付いていなかったのだった、したがって窓は常に開け放さざるを得なかったというわけだ。(無論網戸だが)

その時の私は幼心の空想で「あの窓からいつかゾンビがやってくるのだ」と思っていた、
なんだって火葬が一般的な日本で「ゾンビ」なのか。
まぁ、これは単純にその当時日曜洋画劇場かなにかで放送された映画「バタリアン」の影響だろうと本人は解釈している。
あれは真剣に小学生に見せるものじゃない、トラウマになりました、確実に。

だが、それを聞いて「こいつ根性無ぇな」などと簡単に決め付けてはいけない、
なぜならおそらく同時期放映のこの映画を見て「トラウマ」を抱えたという同世代を3人は確実に見つけた。
やあ、同士。
だから私は警告したい、映画「バタリアン」を小学生に見せてはいけない。

話が反れたが、そんな妄想を抱いては恐ろしさはエスカレートするばかり。
とは言え夏のこの時期に窓を閉めるなどとクーラーの無い子供部屋に許される事態では無い、
無闇におぞましいその窓を兄に無断でそっと閉めようものならすぐ見つけられ「なんで閉めるんだ暑いだろ!」と怒られまた開け放たれるのだった、
「ゾンビが来る」などと突飛な妄想を抱く割には良識も有って、
「意味もなく恐いから、などと言ったらおかしいと思われるに違いない」
と考えていたため、理由を説明できる術無く押し黙る以外に無かった。
だが、そのおぞましさはとても眠りに付くことを許さなかったので、仕方なしに幼い私は毎夜のように2段ベッドの上に居る兄が眠った頃合いを見計らって窓を閉めるという我乍ら涙ぐましい努力をしていたのだった。
不思議と、薄い曇り硝子の窓を閉めるとおぞましさは一掃された。
今思い返すとなぜ2つある窓のうちよりによってこちら側のみ空けていたのかも不思議だ、もう一方の窓も開けていたのかもしれないがそっちは恐く無かったのかあるいはそうでなかったのかこれも記憶にない。

そんなある夜のことだった。
ふと、夜中に目が覚めた、ほんとうに「ふっ」っという感じで。
何気なく顔をうごかすと

・・・窓が開いてる・・・・

これも不思議なのだが、それこそ毎夜訪れるあのおぞましさの為に窓を開けて眠れることなどここ最近は無かった筈なのに、この日どうした訳か開け放しで眠ってしまったらしかった。
その日ばかりはあれが訪れなかったのだろうか?記憶に無い。

それを見た私は一瞬で血の気が引いた「なんで!?」
そう思った次の瞬間、またあのおぞましさが重く窓の辺りを覆った。
「まずい!まずい!早く閉めないと・・」と焦りと怖さで動きの悪い体を無理やり動かして窓を締めに行こうとしたその時、外を吹く風の音に混じって人の足音が聞こえてきた、

じゃり・・・

遠くから聞こえているのか、それとも近くからなのか、判断が付かなかった。
その足音は近づくでも遠ざかるでも無くゆっくりとした一定のペースを保ちながら響いている、

じゃり・・・・・じゃり・・・・・じゃり・・・・・


その時の私のパニックっぷりは想像いただけるだろうか?
「来た!ついに来たんだ!!とにかく窓を閉めないと!!」

かねてよりこの日のためにシュミレーションしていた、
とにかく「やつら」が来たらまず窓を閉める、
いくらガラス戸とはいえ開け放しているよりは破るのに時間がかかるはず、「やつら」が窓を破って入ってくるまでに兄を起こして父母の居る部屋に逃げる、そこで事態を知らせて一緒に車で逃げる。(甘いな嬢ちゃん)

ともかくまずは窓を閉めること。
怖くて体が竦んでいたがまさに怖気を奮って窓に走った、狭い4畳半がこの時ほど広く感じたことはなかった。
素早く窓を閉めて鍵をかける、しかしすぐに兄を起こすのではなくあわててベッドに戻り、相手の出方を待った。


じゃり。

足音が止まった。
直後


ドン! ドン!


と壁をたたくような音が2度聞こえ、あたりは静まり返ったのだった。

私は不思議と「あ、大丈夫だ、もういなくなった」と確信に近く思った。

その出来事からというもの、あのおぞましさをその窓辺に感じることはなくなった。
季節はもうじき秋に差しかかろうとしていた、
窓を開けて眠る日もじきなくなる。


ここからは余談になるが。
当時付き合いのあった友達にやや不思議な子が居た、いわゆる霊が見えちゃう子だったのだが、
ある日彼女の家に泊まりに行った時のこと、その夜、ベッドに入ってしばらくした後背中の辺りにあのおぞましい気配を感じたのだった、とは言え友達の家ではあるし、もう友達も寝息を立てていた、仕方なく私は毛布をスッポリかぶって我慢して無理やり寝たのだった。
翌朝、その友達が言うには「夜中ね、目を覚ましたらケイキョちゃんの背中の辺りから白い手が出てユラユラしてたよ」とのことだった、別にこのとき私は彼女に「怖い感じがした」とは一言も言ってない。

今にして思えばアレが「霊を感じる」ということだったのだろうか?

その後も随所でそういったおぞましさを感じることがあった、特に印象的なエピソードは残ってないが。

中学生になったころにはもうそんな感覚を感じることは一切無くなった。
無論、今もである。
02年8月22日  愛ゆえに
8月17日 川崎にて

このサイトにバトルロワイアル絵を下さった「曽我部 連」さんとこの日お会いする事になった。
この人はバトロワを中心に活動されているマンガ描き作家さんで予てより私が注目していた方である。
以前、我輩の描いたバトロワマンガを曽我部さんが偶然にも購入して下さってお手紙までも頂けるという幸運に恵まれたのが知り合うきっかけとなった。

この度夏コミで新刊を出されていたそうなのだが残念無念なことにその日私は仕事納めで到底休みなど取れる状況に無かった。
なので失礼を承知で「本欲しいッス、エヘヘ、住んでるトコ、何気に近いッスね、エヘヘ」とほざこうものなら、
快く良く「いいですよ」のお返事を頂けたのだった。
という事で、JRは川崎駅にて初めての顔合わせと相成ったのである。

イタダキ物のコーナーを見て頂ければ判ると思うが、この方の描かれる絵は線が強く個性的である、
そもそも私はこういった何か突出した特徴をかそなえた絵や感性がとても好きで、それが故にこの方の描かれる作品には非常に惹かれたのだった。

私は常々その人の描く絵とその人本人は似ている、と思っているので文字通り、線の強い方を想像していた。

が、実際現われたのは線の細い、小柄で綺麗な今時風のお姉様だった。(たかだか一コ上だが)
「ケイキョさんですか?」
とそのほっそりした外見に似合わぬ宝塚的男役のようなハスキーボイスで話し掛けられてしばし呆ける、

「どなたッスか?」

などとふぬけたセリフと面を心の中に押しとどめ「わぁ!曽我部さんですか!?はじめまして〜☆」などと勤めて明るく挨拶する輩。

K「いや〜しかし何か、イメージと違ってましたね〜、本当に綺麗な方で・・・」
曽「そうですか?ありがとうございます、ケイキョさんもイメージ違ってますねー」
K「え?そうですか??どんな風に?」
曽「触角くらいは生えてるかと思いました」

切れ味爽やかッス。

そんなこんなで近くの喫茶兼食事処にケツを落ち着け熱きバトロワトークすること5時間。
先に発売されたバトロワ7巻でついにあの男「三村 信史」がおっ死んだのであったがあの死に様がどうにも情けない!と憤慨する曽我部さん、確かに原作ではあれほど見事に壮絶に討死にしたあの男の死に様にしては情けなかったかも知れぬ。

詳しくはコミックス買って読んでね、って私が宣伝して何の得があるというのか。

それはともかく多分三村の死に様がどうもいただけない要因は倒れた際の足の配置がが密かに
内股
であるトコロではないかと思うのだが。

先ほどからバトロワの話題に終始しているが、このサイトでバトロワサイトとしての宣伝活動を全くといって良いほど行なっていないので興味のない方にはまったく以って面白くも何とも無い話題になっている事は重々承知であり、ここを読んで下さっている奇特で奇特でしょうがねぇ方がたはつまり「悪魔くん」ファンの方だろうと思うので、ここで話題を切り替えて悪魔くん話に戻ろうかと思う。

この曽我部さんにも当然、今私がサイトを作ってしまうほど萌えに萌えてるジャンルである「悪魔くん」を手短ながら紹介させてもらった、この日私は「悪魔くん 千年王国」持参だった、しっかりと。

それをかの方に見せつつ
「これがね〜一代目の悪魔くんこと松下一郎なんですよ〜ウヘヘ」と説明した、

曽「タレ目ですね〜」
K「そうでしょう〜」
曽「全然可愛くないね〜」
K「いや〜、最初はそうなんですけど見慣れてくるとこれがまた味が有って・・」
曽「これが佐藤さん?」(このサイトを見てくださってたので)
K「はぇ」
曽「似てないじゃん!眉毛太ッ、おまけに七三(髪型)だし!」
K「まぁ、それは、なんだその、だからね、ちょっと現代風にアレンジしたというか、そう、そうなの」

散々斬捨てられまして(爽快)。

そんな曽我部さんは千年王国を最初の方だけ読んで
「私が家庭教師ならこのガキ、埋めてる」
とおっしゃられました。

埋めますか。



そしてこれ↓がたった最初の十数ページのみ読んであとは思い出しで曽我部さんが描いた松下です。

      
見ないで描いたくせして似てんのよ。



何はともあれ大変な気焔を吐きまくった5時間でありました。
曽我部 連さんあの日はお世話になりました、というか、腰低すぎてすみません。
こんな輩ですがこの場を借りて、これからもよろしくお願いいたします。
あと一つ、押され気味で否定し損ねたのですが、
佐藤さんの髪は七三分けじゃ有りません、
見る角度によって流れ方向の違う不思議な不思議な髪型です。
またお会いしたいですね。

02年8月21日  いみじくも天性
よいこのみんな!こんにちは!!
さぁ!今日はとぉっても
下品な話だぞ!!生理的に嫌悪を感じたら即ページを閉じたほうがいいよ!!

みんなはこんな大人にだけはならないようにネッ☆彡



たびたび登場の「山さん」に今回も御登場いただく。
だが、今回は「山さん」の腹心にして朋友の
「ハミさん」に重点を置いて話をさせていただく。
「やまハミ」一セットで覚えていてくれれば幸いに思う。
山を語るにハミは欠かせぬし、ハミを語るに山は欠かせない。
そういうと山さんはなぜか激怒するが。

大概、日記サイト等で作者の友人云々の話が出てくる話を見ても失礼だが面白いと思ったためしが私にないので、きっとコレを読んでる方も面白くないだろうとは思う、それはそうだ、知らない人なのだから。
だがここはあえて強引に話を進めさせていただくことにする。

必要になればハミさんの人となりについて別途語ることにしようと思うが恐らく誰も期待しないだろうなぁ。

私が仲間内で作った劇団に所属している話は以前したが、この二人は劇団設立に欠かせない先輩達だ。

この二人が以前他の劇団に友情出演したことがあった。
その劇を私も勿論観に行った、劇の内容などは今回の話に関係ないので割愛する、
だが、その劇で主人公を務めたある青年がいた。

彼の渾名は
「ちんちんというのだよ、とハミさんに聞いた。

「ちんちん」

一体それは何故に?と問うや、ハミさんも「我、知る由もなし」と答えるのだった。
私の目から見たその彼「ちんちん」の感想はと言えば、別に普通、人のよさそうな小柄で童顔の好青年だ。

その彼にいかにしてその雄々しい渾名が付けられたのか誰に問うことも今は出来ないのだからこの際こだわったところで仕方がない。
問題はそんな雄々しき渾名を持つ彼の周辺環境にある。

劇団の稽古中は当たり前に叱咤激励が飛び交う。

これはハミさんに聞いた、その劇団内での日常会話の一例。

「ちんちん、そこ見えないよ!もっと大きく!!」
「(稽古を)始めるよ!ほら!ちんちん立って!やって!!」
「ちんちんすごい!今のはイイよ!!」


かなりなことになっている。
ハミさんは「さすがにもう慣れたけどね」と寂しげにまつげを伏せるのだった。


その話を聞いた日の夕刻、ハミさんの携帯に一本の電話がかかって来た。
そう、話題の主
「ちんちん」からであった。

その電話を取ったハミさんの第一声がコレである。

「ちんちん元気ーーーっ!?」(声量大)

本当なんだから仕方がない(疲)。
02年8月18日  死体ですデスDEATH
下の空耳アワー関連で思い出したので、

題して「デスの悲劇」

「デス」とは、そう、あの、「デスメタル」のことである。
すなわち音楽の「ロック」「メタル」「ポップス」といった類の一種である。
一言で表すなら

「とにかくスゴイ、スゴイ何言ってるか解りません」

さしずめガロット(スペイン式)で限界まで首を締め上げられた人が無理して歌を歌ったらこんな風になるだろうなといった風情。人知を超えた濁声。

何を歌っているのか解るようではデスではない、とのこと。

というかはっきり言えば、デスメタル、我々一般人には何を聴いても同じに聞こえる。
まずコレを念頭においてもらいたい。
デスメタルファンの方、見てたらすみません、見てねぇよ。

そんなすら恐ろしいデスメタルですがやっぱりファンはいます、というか当然です。

我輩の大先輩「山さん」の舞踊学友にして花の女子高時代に我々にダンス指導をしてくださった事のある
「クラッシャー・ジョー先生」(日本人)

の、御令弟「クリーム・ジョー」(やっぱ日本人)氏。

彼こそはデスメタルの熱狂的ファンである。
ある日彼がデスメタルの曲一曲一曲について熱弁を振るってくださった、
しかし先に述べたように我々一般人には何を聴いても同じに聞こえる。
彼はそんなことにはお構いなしにその曲の歌詞のすばらしさについて切々と語る、

「ねっ!この歌詞のここのところ、いいでしょう!?あとこれの部分はここがすばらしくて・・


だが我々一般人には何を聴いても同じに聞こえる。
いささか彼との音楽センスの決定的な違いはおろか、
同じ耳を持つ人間なのかさえ不安になりつつあった時、

最後に彼はこんな一言をつぶやいたのだった

「でも、問題は何を聴いても同じ曲に聞こえるトコなんですよね・・」




彼も同じ人間だった!

彼も同じ人間だったぁ!!
彼も同じ人間だったぁあぁああ!!!
彼も同じ人間だったぁああぁあァアアアァアアッ!!!!


前回に引き続き知らない人には面白くもなんともない話でお粗末。

裏になんか増えてます。

02年8月17日  ジ・アルティメット・パニッシャー

毎週金曜日、夜11〜1時(注・調べてないのではなく変則的なのだヨ)ごろに10チャンネルで放送されている「タモリ倶楽部」という番組を御存知だろうか?

かの流浪の番組の目玉コーナーに「空耳アワー」というものがある。

知らない方のために一応説明させていただくと、外国の歌、無論英語その他の言語で歌われているはずの曲の中で「あれ?今の歌詞日本語で○○○って言ってるように聞こえない??」というものを紹介するコーナー、本来英語なはずの歌詞が日本語に聞こえる、という意味で「空耳アワー」なのだ。


コレがまた面白い。

基本的に視聴者からの投稿により成り立ってるコーナーだが、ともあれ発見しようとして出来るものではなし、
見つけられる頻度も少ないことにより採用される頻度も少ない訳だ。

コレに採用されると商品としてタモリ倶楽部のロゴ入り製品がもらえるのである。

最低ランクでタモリ倶楽部のロゴ入り
「手ぬぐい」(タオルとかにしとけよ・・)
次にタモリ倶楽部のロゴ入り
「Tシャツ」
最高のものにはタモリ倶楽部のロゴ入り
「ジャケット」がいただける。

先に述べたとおり、そもそもこのコーナーに採用されること事態が名誉なことであるわけだ。


自慢しちゃおかな。

自慢しちゃうよ。

見よ!!これがタモリ倶楽部特製
「かつて手ぬぐいといわれた布」↓だ!

 ←証拠写真

もらったのは数年前にもなるのに未だ袋から出してもいないあたり、いかに貴重としているかがわかる。
たかが一番低ランクの商品と馬鹿にするなかれ。

何のネタで採用されたかはこの際言いません。
結構〜くだらないの。

しかもその当時は毎日毎日欠かさず見ていた上に毎回このコーナーのみをビデオに収めていたのにはずなのに私の投稿が採用された回のみ見忘れ&撮り忘れたという。
友に「スゲーぞ!!やったな!!」と電話報告を受けて初めて知ったのだった、トホホ。

が、さらに悔しいことに上には上がいた。
以前この徒然記に登場願った我輩の敬愛する先輩こと
「山さん」に至っては
なんと「Tシャツ」を頂く栄誉にありついたのだ!
この回はきっちり録画してます、ハイ、くそッ。
でも
「山さん」、それ着て彼氏とデートするのはよせ、悪いことは言わん。

ときに、下(13日)で書いてた休みの出来事についての話はどーした、と自らもツッコミたいところであるが日が経ったらど〜でもよくなって来た。すなわち飽きっぽいの、それも極端に。気が向けば書く。誰も覚えてなくなったくらいのころに。

余談になるが、エアロスミスが結構好きだ。
例にもれず、この超有名バンドも「空耳アワー」の常連に名を連ねる。
優秀な空耳作品が多いのだ。
空耳アワー内では有名だがエアロスミスの「Rag Doll」という歌、
超カッコいいロックなのだがどうしても、何度聴いてもサビの部分(曲開始0:34秒後)が
「はっつあん、入れ歯のジジィ!!!」と聴こえる。それも相当ハッキリとだ。
カッコいいのに、好きなのに、最高にイカす曲なのに。

やるせない気持ち。

この部分正確には「Hot time, get it while it's easy」と歌っているのだが。
ははあ、Hot time ではっつあんか、そしてIt's easyがジジイか。

友にこの辛さを切々と訴えたら「もう諦めろよ!!」と涙ながらに言われたし、
そんな最近では

Rag doll, livin' in a movie♪
Hot tramp, Daddy's little cutie
So fine, they'll never see ya
Leavin' by the back door, man♪

はっつあん 入れ歯のジジイッ!
Don't mind, come on up and see me
Rag doll, baby won't you do me
Like you done before〜♪


とCDに合わせて歌うようになった。
開き直りも時に必要であるなと。

知らない人には面白くもなんともない話でお粗末。

02年8月13日  ブック・オブ・デイズ

折角の休みに入ったと言うのにここのところ更新してない(汗)。

したいのはやまやまなのだが休みにうかれてちょっとここ数日予定を詰め過ぎた。

それなりに面白い出来事があったので、一気に書ききるのは長くなりそうなのでボチボチ更新していこうかと思う、
しかし一気に話してしまわないと案外たいして面白い話ではないのではとも思っている。

そう書いていて思い出したのだが、
我が花の女子高生時代、敬愛する先輩の御学友の女性がこんな話をしたのを思い出した。

何でもその数日に、その彼女は彼氏との間に別れる別れないのイザコザが有ったらしく

「アタシのこの3日間で映画が三本は作れるわよ・・」

と憂いを帯びて言われたのだった。

彼女と離れてすぐ、先輩は私にこう言った
「・・・映画は映画でも「オースティンパワーズデラックス」みたいな映画が三本は出来る3日間だったら、
嫌だよな」と。

確かに。

そうなるとやはりその3日間の始まりは朝一での火星人の襲来を告げるニュースからだろうか?
送ってみたい、そんな3日間。

02年8月6日  ピカロの災難

今日、毎朝立ち寄るコンビニで何年かぶりにチョコボールを買った。
ほんの気まぐれだった。

会社で開封してみて我が目を疑った。

「金のエンゼル」様が降臨なさったのだ。


 
 ←証拠写真

初め何かの冗談かと思い、
果ては最近のチョコボールには全部これが印刷されているのではないかと愚かなな考えをも起こし、パッケージを隅から隅まで見回し、さらには「金」エンゼルと書かれたマークを穴が空くほど観察するも、
間違いなく、それは「金のエンゼル」であり
「金のエソゼル」であるとか
「金のエンゼノレ」であるとか、
まして
禁のエンゼル」であるとか言うような事も無かった。


ついに幸運の女神は我に微笑みたり。



けいきょ人生初の快挙、
実は高校の頃、後輩がこの金のエンゼルを引き当てた事が在り、実物を目にしたのはこれで2度目なのだったが、実際自分が引き当てたとなるとその感激は比べ物にならない。
ちなみにその日より、その後輩は「黄金の後輩」と呼ばれるようになったのは余談である。

浮かれに浮かれて、
貰うならば「太陽のカンヅメ」かはたまた「月のカンヅメ」がいいかを迷っていた私の脳裏に
ふとある疑問が浮かぶ、

この金のエンゼルたる幸運の出現率は如何程で在るのか?

早速文明の利器・インターネットで調べてみる、
やはりエンゼル研究を専門とするサイトがいくつもHITする、
やはり誰しもあの「おもちゃのカンヅメ」の中身を知りたい気持ちが在るのだろう。
いや、それよりにエンゼルを引き当てた時の喜びの方を味わいたいのかもしれない。

ともかく、在る一つの熱心なサイトを参照にしてみた結果を以下に借用する。

銀のエンゼル出現率 1/15 個

金のエンゼル出現率 1/1500個


銀のエンゼルの出現率が意外に高いように思う、15箱買えば最低一箱は当たる計算だ、
しかし幼いころには良く購入していたこの菓子だがそれ程銀のエンジェルさえ見た記憶は無いが・・。


それにつけても金のエンゼルの出現率たるや格段の違いだ。
金額に直せば、チョコボール一箱が60円なので、

銀エンゼルの価値 60×15=900円

金エンゼルの価値 60×1500=90000円


となるとこのサイトでは述べている、

それにしても
90000円の価値とは改めて数字にすると恐れ入る、あくまで数値の上ではあるが実際引き当てた事がある幸運児はほとんどいないのだし、それを踏まえた上ではむしろ安い部類にさえ入るのかもしれない。
事実一生涯金のエンゼルを目にすることなく終える人のほうが多いはず、
中には比較的当たりやすいとされる銀のエンゼルでさえも未だ目にしたことが無いという人をも存在すると言う。

さらにこのサイトではこう締めくくっている。

『銀は1枚あたり約900円、金は1枚あたり約90000円の価値があると言えます。
どう考えても銀5枚と金1枚の価値が釣り合わない為、金のエンゼルが出てもおもちゃの缶詰と交換する人はいません。もし当てたら
家宝にしましょう。』

家宝!!

子供の頃「あのおもちゃのカンヅメの中には何が入っているのだろう?」と未知たるその中身を思い描いてはにあれやこれやと想像を逞しくしたものだった。今、それを手にする確実たるチャンスが手中に在る。

学校でチョコボールの話題が出るたび、「イトコの友達が(カンヅメを)貰ったらしい」「私の友達の友達の弟がもらった」といった縁遠い発信源からの「噂」を耳にするものの、
「我!手中に収めたり!」と言う直接の主の話を聞いたことが無い。

手にした金のエンゼルを森永製菓に送るのは愚かな行為だと言うのだろうか?

「金のエンゼルが出てもおもちゃの缶詰と交換する人はいません。」


などと言い切られてはしかしぐうの音も出ない。

そこで思い出すのがカンヅメについての噂だ。
「開けてゲンナリ見てガッカリ」とは世に知られた事実、
そんなもののために金のエンゼルを手放すのはやはり愚かな行為か・・・。

しかし、
だがしかし幼い日、もうこの上ない魅力を持って輝いたあの「おもちゃのカンヅメ」は、
今となっては必要の無い物かも知れないが今だ果てしないノスタルジアを呼び起こして止まないのだ。

頭を抱えて悩む自分が居た。

どうやら勝利の女神は私に微笑んでくれていたのではなく、指を刺して笑っていたのであるか?


皆様の御意見はいかなるものだろう?
家宝にすべきか、おもちゃのカンヅメに変えるべきか・・。
御意見お待ちしています。

  ←無意味にタバコと並べてみる


02年8月5日  トゥルーふりしぼり

私は親子喧嘩で

「こざかしい」

という言葉を使ったことがあります。

02年8月4日  おいら真っ二つ

「私は絵が描けない」

掲示板を新しくしたいけど候補にしてるレンタル掲示板にアイコン機能が付いてる。
つけなきゃいけない訳じゃないけど、
折角あるならと思ってしまう。

アイコンにする絵を描こうかと思ったけど。

−ああそうだ、私は絵が描けないんだったっけ−

これは絵を描く人なら誰しも経験した事だと思うけど、
その時「これはうまく描けた!」と思った絵をずっと後になって発掘すると、
「こんなに酷かったのか・・」と失望する。

昔から、今も変わらずそうだ、いつも後から自分の描いた絵を見るとその都度失望してる

何年間、描いても描いてもいつもいつも結果が同じ。
昔より上手くなったつもりでもちょっと時間を置くとやっぱり下手だと判ってしまう。

この時の感覚がつまり「描いた本人でなく他人から見た正しい見え方捉え方」だと私は思ってる。

とどのつまりがやっぱりヘタクソなのだ。

人が見て「素晴らしい!」と思わないまでも「いいんじゃない」と思ってくれるレベルが
描ければ良いのかもしれないけど、

自分が納得できないから、やっぱり「私は絵が描けない」と結論付ける。

絵なんか描けない。
アイコンなんか作れない。

なんだってイラストサイトなんかやってんのかねぇ?
げひゃひゃ。

本日バトロワ語り&悪魔くん語りアップ、ようやっと念願かなったり。
ついでに裏ページに7月の腐敗絵もアップ完全版とやらも同時に。ハラヒレホロハレ。

02年8月2日  ちんけ・ユー
半年ほど前の事になる。

久しぶりに会った友達と二人で遊んだ時の事。
つい調子に乗ってしまった私たちは、もうだいぶ遅い時間だと言うのにかねてから見たいと思っていた映画を観ようと思い立ったのだった。
車をそのままデパートの駐車場に置き、その日最後の上映となる映画のチケットを購入し映画鑑賞に落ち着いたのだった。

BUT。

私たちは忘れていた、最終上映が終わる頃、時間はゆうに日付変更線を超えてしまう事に。
いや、そうでなくとも片田舎の小さな新興の街が眠りに就く時間などたかが知れている。

私たちが映画の興奮冷めやらぬうちに駐車場に戻ってみると
無情にも

閉鎖

の二文字が。
映画館に付随する駐車場ではなかったので営業時間が終わってしまっていたのだ。

精算機は電源が落とされていて立ち塞がったバーは開かない、関係者に連絡を取ろうにも守衛所もすでに閉鎖されている。その上ご丁寧にもバーを過ぎた2メートル先には鎖までが張られている。

さあ、どうする?
車が無ければ、まだ私は良いが友達は到底帰れる距離に住んでいない、その上電車も最早無い。
それに明日まで置いておいたなら一体駐車料金はいくらになるのか・・。

思い余って恐る恐る、バーを持ち上げてみる、
警報等はならない様だ、監視カメラの類も見当たらない。
そこでもっと上げてみる、私の肩口までくらいは上がる。

車高はギリギリ同じくらいだ。

厳重に張られた鎖のほうも、これを持ち上げてみる、めいっぱい持ち上げてみる。
やはり同じくらいは上がる、

よし。

そして私たちは一人が運転席に座りゆっくりと車を前進させて、もう一人がバーを力一杯持ち上げる。
じわじわと前進、見事バー突破。
次に鎖もやはり同じようにして持ち上げる、更に万が一にも車に傷が付かない様に、鎖との間にゾウキンを挟む周到さも忘れない。
これも見事突破できた、グローリア。

まぁ、そんな訳でくぐり抜けられてしまったので「仕方なく」料金を踏み倒して颯爽と深夜の駐車場から逃亡したのだった。

これだけ話すと大して面白い話ではないと思う、
良くある話で同じことをやられた方もいらっしゃるのではないだろうか?

この話にオチを付けるとすれば、
私が勤務する会社はこういった駐車場の発券機や、それに付随する防犯用具を作っている会社だと言う事だ。

しかも私は事務ではなく生意気にも技術系のヒトである。


日々、会社が盗難や踏み倒しに合いやすい駐車場の精算機の防犯に全力を注いでいると言うのにそこの社員、しかも設計関係者がまんまと踏み倒してどうする。

私には愛社精神と言うものは皆無らしい。


02年7月の戯言

貴様の戯言など聞きたくないわ