裏徒然記
タマに更新します。
すごくシンプルでイイ。

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2003年12月11日

最近のハマりもの。

ハッブル宇宙望遠鏡 HP。
すばる望遠鏡 HP。
NOAO HP

星ってアホみたいに綺麗。
この世の光景じゃないみたい。
特に星雲関係はちょっと美しすぎて恐いほど。

馬頭星雲(Horsehead Nebula)のアップなんて一瞬何かを抽象的に表現したCG画像かと思った。
何だあの美しいピンク色は。
まあ、あの色はもともと暗黒星雲だから実際ああいう風に見えてる訳じゃなくて、
色調値域を拾って、そのデータ値を基にコンピューターで色付けしたものらしいけど。
実際近くに行けて肉眼で見れたとしてもあんな風にはみえないのか、残念。

でも、しかし、綺麗だ。
壮大すぎて身震いがする。

まぁ、何万光年先の宇宙なんてあるいはもうこの世とは呼べないのかもしれないけど。

知られたことだが、星には誕生があり、そして死がある、それを踏まえて見ると、
もしかしたら星は私たちが考える「生命」の基準とは全く違う認識の「生命体」なのかもしれないな。
宇宙は案外、「別の次元の」命に満ち溢れたにぎやかな世界なのかも。

すなわち所変れば品変る、ということですかな。←急にセコイ


何気にお勧めはNOAO、画像が充実してる。
ハッブルは英語の上ちょっと構成上読みにくい、本人の語学力の無さはさて置いて。

急に「ソラリス」が見たくなってきた。
あ、あとソラリスのサントラが欲しい。
脈絡が無さ過ぎ?

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2003年12月08日

今、手元に一冊の同人誌がある。
どこから入手したかは聞かずとも良い。

内容が「K男×S藤」本、(爆)。

まさに(爆)
最初は「これは…いかなるものか…」と思ったものの、
内容の良さとその無理の無いストーリー性に、ここに至って大きな心境の変化が起きた。

すなわち、うかつにもモエ(「萌え」とは言いたくないので、あえて)てしまったのである。

近来ここ一番のモエになっている。
続き物なので猛烈に読みたいのだがまだ続編が出てないらしいので欲求不満気味ック。

あー、ていうか。
これにハマるのですか?私は。
そして戻ってこれないのですか?

ヤバイ、どうしよう。

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2003年12月04日

【ご挨拶】


本日を持ってうたきの森投稿募集を締め切らせて頂きました。

沢山のご応募ありがとうございました!

1ヶ月間という短い応募期間にも関わらず投稿して下さった方々をはじめ、
応援して下さった皆さんにはただひたすらに感謝です。

募集呼びかけ及び臨時掲示板は消滅いたしましたが、
もちろん皆様から頂いた作品は後世までここに展示させて頂きます。
まさに美術品と呼ぶに相応しい、素晴らしい作品の数々でした。
一枚の美術品を寄与して頂く度、その絵の中に広がる世界観を思う存分堪能させて頂きました。
幸福の極みです。

わたくしのようなヘッポコ管理人の企画に、
たくさんの方がご参加くださいましたことを心から厚く御礼申し上げます。

またいつか機会があれば、森の奥深くで開かれたサバトにお集まりいただければ幸いです。


ドロン★

ぼえ〜ん、もわわわわ… (消)

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2003年12月03日

目標(5枚)の倍を超えるご投稿に、
しあわせ過ぎて死ぬんじゃないかと懸念しております。
本日募集最終日〜★


だるまさん松下。
イイ。
やはり相手は腐っても悪魔だ。そう、そうなんですよ!!
例えば陵辱とかで悪魔が満足して終わるはずが無いんです、これくらいはやるだろうと大納得!
手足を切られてもなお気丈に振舞う姿にさらに興奮を覚えるのも素で納得、私も興奮しました。
そしてこのあと松下は文字通り手も足も出ないまま一生サタンの屈辱的な玩具に…。
ムホー(大興奮)!!我が意を得たり!!


シンクロニティを感じつつ、こちらもだるまさん佐藤さん。
うーん!!イイヨ〜イイヨ〜!とってもステキなお姿です★
やはりステキな男性には手足がないのが一番ですな!←いや、そんなことは。
ご丁寧に目も耳もつぶされてるご様子にモエです、モエ。私も飼えるものなら飼いたいです。
しかしこれだけのペットとなるとやはり日本有数の電機メーカーの社長令息くらいにならないと無理そうです。
というか血の滲んだ切断面がマジ痛々しくて、さらにムホー(大興奮)!!


内臓の海に漂う松下。
コチラはカラー臓物初挑戦だそうですが…初挑戦??
全く、全然、微塵もそんな事を感じさせない素晴らしい出来栄えなのですが。
構図もレトロめいた着色も松下の虚ろで妖しげ表情な表情もどれをとっても美しすぎるのですがッ!!
なんだか同じ絵描きとして羨望の的です、臓物の質感も血なまぐささがここまで漂ってきそうな勢い。
あまりの美しい絵画にさらにさらにムホー(大興奮)!!


↑このとおり、大喜びです。

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2003年12月01日

たまに、「千年王国」を「千円王国」と打ってしまい、
脱力する事ありき。
表裏一貫してこのネタか。

なんか、ここの裏徒然記読んでると佐藤さんの事ばかり書いている気がする。
それほど愛しているのか?私。
いや、まぁ、ぶっちゃけ、キャラが脳内で一人歩きしてるだけだけど。
とはいえ、一人歩きするにしても、元キャラ有ってのものだし、
さしあたり私は満足してるから良いのだ。

それ以外は陰惨な事故とか事件とかばかりだ。
うーん、嗜好がハッキリしているなぁ。



あー、バトロワ描きたいなぁ。
イラストじゃなくて漫画の方を、遅筆な自分が憎いったら憎い。
何でもっとチャチャチャと華麗に描けんのだ。

糞だ、死ね。

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2003年11月30日

うたきの森投稿締め切りも残すところあと4日となりました。


思った以上にうたきの投稿ブツが充実してまいりました!
嬉しいっす、なんせ当初の投稿目標数は5枚でしたんで。

5枚くればいいかな?と、割と強気な数字ですか??

そんな訳で本日は月光さんの投稿2枚目を追加ッ。

いーなー・・松下、佐藤さんのモツを食み食み・・・。
私も食いたいぞ!
独り占めは例えメシアでもずるい!!イカン!!遺憾〜!!

「佐藤さんのお肉食い隊」

必ず「まいうー」って言うから!!
さあ!!さべさせなさい!!!ほら・・・・。

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2003年11月24日

番人のキリ番絵追加。
いやー、本来なら表のリクを先にやるべきなんだろうけど、
こういう募集かけてるのに本人が一枚も描いてないんじゃアレかしら〜?
と思ったので。
キリリク戴いてるし丁度いいかな?と。


それにしても、謙遜とかじゃなくて本当に私の絵って下手だ。
糞だ、死ね。

でもサロメっていい題材だなぁ★

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2003年11月13日 (2)


「頭の二つある生き物がそだたないように・・・・」

←ちっさくてすまぬ。

育ってんやん。
因みに2人とも知能は正常だそうな。
おまけに運動、歩行にも一切支障がないとか。

アビゲイル&ブリトニー ヘンゼル姉妹。
ほぼ一人分の体に2人分の頭部の乗ったY型二重体児。
1990年、アメリカ生まれ。健在。

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2003年11月13日

煩悩を語りますパート2。


ブサイクならば美しく死ね

美形なら二目と見れぬ残虐な死体をさらして死ね。

そういう意味では相馬光子の死に様は最高です。

「美しい死体」のなんたるか。
美人を死体にすることではない、なぜなら美人はもとから美しいんだから死んでも美しいのは当然。
真の「美しい死体は」生前のブスをいかに美しく見せるかにある。

だからその反対に美人の凄惨な死体は一層残酷で、美しい。

そういうことです。

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2003年11月11日

煩悩を語ります。


よく、同人のシチュエーションとして見かけるのが「性別反転バージョン」。

登場人物の性別を反転させてしまうと、
この「悪魔くん」では。
松下も女の子になるという訳。

超天才で不気味な社長令嬢というのも想像しにくいがあえて想像してみると松下ファンはもうたまらんだろう。
コレはコレで一通り語ってみたい気はするけれども、ひとまず置いておく。

一番従者の「蛙女」、二目と見れないブスだろうが実はあんまり男女が反転しても違和感はないのではないかと思われる。長髪の所為だろうか?


ここで私が注目したいのは佐藤さんだ。

勿論、「佐藤女史」となるわけだ、

想像してみよう、美人(多分同性にはMAX嫌われてる)でお高い東大出の才女が、
不思議少女(笑)・松下 一子を追いかけて、多分、十中八九、
「ハイヒールとタイトスカート」(←最重要)で無謀にも森の中まで追いかけてくるのだ。
で、木の根とかで脚をグキッとやっちゃったりして、普段気の強い女史も流石に泣きべそかいたりしてしまうのだ(だってオンナノコだもん!)。
おまけに仕舞いには気味の悪い爬虫類に全身集られちゃったりするのだ。
その筋の人にはたまらないシチュエーション。

「ハイヒールとタイトスカート」
たまらんです。たまらんですよ。
贅沢言えば色は赤で。

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2003年11月03日

一枚しか完成してない。

それも手抜き。
なんだか気合が入らないなぁ。

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2003年11月02日

あり?まだペン入れ終わっただけ??



おまけに・・なんでこんなに線がガタガタなんだ??
いよいよアル中か?

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2003年10月26日

記事消去

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2003年10月02日

10月になっても分けることとか一切せず。
めんどくせえんだよ。むにむに。

我が家では私が中学生2年生くらいになるまで夏には毎年家族旅行をしていた。
家族旅行とは言っても今は廃人たる父が連れて行ってくれたところはいつも父の趣味丸出しだった。
今は人気スポットになったが「黒部ダム」だの、富士山麓の「忍野八海」だのと地味な所ばかり。
それも本当に毎年毎年。

さて、「忍野八海」といえば富士山からの湧水が豊富に湧き出るところ、その水の透明度の高さは日本でも有数。

しかし、当時の私、
「透明度の高い深い水」および「鯉や鮒のような大きな淡水魚が怖い」という二つのトラウマがあった。
近くの大学のプールを夏場一般に開放していて小学生の時分には夏休み中毎日通っていた、
いつもは結構人がいるので潜ってもプールの中で見えるのは人の足ばかり、が、ある日何故か一番乗りでここへやってきた私はいつものように水中眼鏡をつけてプールに潜った、
そしたら誰も人がいないため、プールの隅から墨まではっきり見渡せたのだった、
恐怖のあまり慌てて出たことがある。
ソレくらい嫌いだった。
鯉の泳ぐ池も同様、怖すぎて近寄れなかった。

その二つの条件を見事なまでに揃えたのがこの「忍野八海」である。

茶店のある目の前の一番深い池が恐怖の最たるものだった、
なんせ水深2〜3メートルはあろうかという深い円形で澄んだ水ゆえ底まではっきり見えるこの池、これは「湧池」ではなく人工的に作ったもののようで、深さはあっても直径は差ほどでもない。

この狭くて深い池の中を鮒だかなんだかでかい魚が無数にグルグル回って泳いでいるのだ、
しかもはっきり見渡せる青白い底には死んだ魚がうつろな目をして横たわっているのが見える、
うああああああ。
怖い、怖すぎる。

そんな恐怖の地であっても毎年おとなしく連れて行かれていたのは、あるいは怖いもの見たさだったのか。

前置きが長くなったが、

そうここまでが前置き。

本題。

あまりに古いうえに地域的事件な為に知ってる人も少ないだろうが、
以前この「忍野八海」で事故があった。

テレビ朝日の番組取材中の出来事。
この「忍野八海」の水中撮影のため潜水したカメラマンら二人がそのまま浮上せず帰らぬ人となった。

この天然池は溶岩で形成され、一見すると地上の池からは見えにくいが横穴が沢山開いているそうな、一説にはこの穴が地中で富士山からずっと繋がっていると言う、このときの取材もこの穴内部の撮影を行っていたらしい、だが内部は迷路のように入り組んでおり、このカメラマン2名は穴の中を進むうち、帰路を見失い酸素切れにより死亡したそうな。二人は命綱をつけていなかった。

私だったらいくら仕事であっても金を積まれてもこんな役目はご免である。
まず横穴どころか池に入ることさえ断固拒否する。

そういう話を以前から父に聞いていたので、悪いくせで怖いもの見たさも倍増だったのかもしれない。
ある年、いつものようにそこを訪れた私たち家族だったが、

私が一人池のそばを歩いていると、池を眺めながら立っている初老の男性と小学生くらいの少年。
その二人の後ろを通り過ぎる時、こんな会話が聞こえた。

「ねぇ、ここにパパが眠ってるんだよね?」

ん?ん?


パパが眠って?というと?あれか?あの事故の遺族か??
驚いたもののいくらなんでも立ち止まって話を盗み聞きするわけにもいかず、あるいは聞き間違いかとその場は通り過ぎたのだったが。

最近になってこの事故が起きたのが1987年と知った、もっともっと古い事故かと思っていたのだったが、
そしてこの会話を聞いたのが多分私が中1か2のとき。

あの少年は小学生の高学年くらい、
逆算してみると・・何だかありえそうな気がするのだ、
もしかしたら聞き間違いかとずっと疑っていたが、本当にあの二人は遺族だったのかもしれない。

不意に聞いてしまった悲しい人間ドラマであった。


ちなみにこのカメラマン2名の遺体、見付からなかったとの噂を聞いていたが、
捜索は難航したものの事故発生から5日後までに2名とも発見されたそうな。合掌。

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2003年 9月23日

記事消去

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2003年 8月29日

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2003年 8月26日

どうでもいいことだが折角話題にした折なので追記。

私は佐藤さんのネクタイを色塗りする際、

「女陰唇」色になるように心がけている。

一種のセクハラ。

私から、佐藤さんに対しての。

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2003年 8月26日

それにしても、佐藤さんの水玉ネクタイの破壊力はスゴイ。

どんなにまじめに描いていてもあの水玉ネクタイを描きいれる段になると途端にヘナヘナになってしまう。
恐るべし。
何度脱力させられたことか。

え、で、まぁ、今更ですが一応下記の21日にセコセコ描いてた例のブツが完成しました。23日に。

ああいう絵は通常松下と絡ませた方がウケは良いんでしょうけど。

松下は何といっても体はまだ子供中の子供だから、
結局大人の佐藤さんが本気で刃向かったら、
松下には魔法とか何とかが使えたとしてもそれでもそんなもんを使う前に万が一にでも一撃でも反撃を食らったりしたら恐らく松下再起不能になってしまう訳ですよ。
リスクが大変高いと思うのですよ。
そうなると、松下が佐藤さんを嬲るのであれば先ず息の根を止めてから死体を切り刻んだりしなくてはならないと思うのですよ。
蛇性の淫とかはそんな事を考えながら描いてたんですが。

やっぱね、いたぶるったら生きてるうちじゃないと楽しくないわけで。

小説版の千年王国でしょっぱな、電波系佐藤さんが高校時代の友人に殴られるシーンで、
「もっとやれ!徹底的にやれ!!殺してもいい!!もっと拷問と大差ないくらいにやれ!!!!私刑だリンチだ集団暴行だ!!!!」
とひとりヒートアップしてたとかしてないとか。

その辺の欲求不満がここに表れてるとかなんとか。

ま、所詮口先だけの小物のたわ言と思って聞き逃してチョ。

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2003年 8月21日

記事消去

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2003年 8月16日

記事消去。

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2003年 7月30日

今日、7月30日は岩手県雫石で行われる最後の雫石事故公式慰霊祭(33回忌)の日です。
民間航空機と自衛隊の演習機が空中で衝突し両機とも墜落するという、前代未聞の大事故は1971年7月30日午後2時2〜3分頃のこと。

ところで私がこの事故を知ったのは小学生の頃です。
別に私が小学生の頃この事故がおきたわけじゃありません、そこのところ誤解の無いように。
(1971年に小学生だったとしたら、例え当時一年生であっても既に40歳近くにはなってるだろう)

小学校の図書館にあった「近代の怪談」のようなコンセプトの本からでした。
とは言うもののもうほとんど内容の方はおぼろげなので覚えている内容のつじつまを合わせてあらすじをお話しますと、

たしか、とあるスチュワーデスの体験手記という銘を打ってたような気がしますが。
主人公のスチュワーデスには可愛がってもらっていた憧れの先輩スチュワーデスが居て、
新米の彼女はいつもいつかは彼女のような立派なスチュワーデスになりたい、と目標にしていたのでした。

ある日、いつもの勤務中、一人でお客用の飲み物を用意していると突然「○○さん、○○さん」と呼びかけられたのでした、
「え?」とおもって顔を上げると、なんと飛んでる飛行機の窓の外に、その先輩がベタ〜っと貼りついていたとか。
驚きのあまり気を失ってしまったのでしたが、その後、目が覚めた彼女は聞いたのでした、
まさにその日、その先輩が搭乗した全日空58便B-727と自衛隊機が上空28000フィートで空中衝突を起こし、
全日空に乗っていた乗員乗客162名が全員死亡したことを。

ショックを受けた彼女は空が怖くなり何度もスチュワーデスを辞めようかと思い悩んだのでした。

しかし、結局はかの先輩の意思を継ごうとスチュワーデスを続けました。
やがて時は流れ、彼女もかつて彼女が憧れた先輩のように、一人前になっていました。
当時の日航のサービスで、正月の期間にはスチュワーデスはいつもの勤務服ではなく、着物を着てお客の接待をすることになっていたそうです。
とくに外国のお客様には評判が良かったとか。
そしてこのときも、彼女はいつものように手馴れた調子でお客様の飲み物や毛布なんかを着物を着て用意していました。
そのとき、ぽん、と肩に手が置かれたので、「え?」と思って振り返ってみると、そこにはなんと血塗れの姿のかの先輩が立っていて
「立派になったわね」
と微笑んだのだそうです。

勿論このときも彼女は卒倒。

目が覚めて「あれは夢だったのよ」と気を取り直すも、
空港に到着してお客様を送り出していると、ひとりの外人の老婦人がニコニコしながら話しかけてきたのだそうな
「あなたとずーっと一緒に居たもう一人のスチュワーデスさんはどこ?」

その後、彼女はスチュワーデスを辞めたそうです。

わりと怪談としてはポピュラーな展開ではありますが、
史実の事故を扱っている上にたしか記憶ではこの先輩スチュワーデス、実名だったような気がします。
今あるこの事故の資料を読むと確かに死亡した搭乗員に見覚えのある名前があるのですが・・。
いいのだろうか?

当時、小学生だった私は「海の上とかだったら広い大海原とはいえ一応同一平面状を進んでいるのだからたまには衝突事故とかもあるかもしれないけど、飛行機言うたら前後左右はおろか上下もあいてるじゃん、そんな事故起こる訳無い、だからこれはフィクションだ」
と勝手に結論付けてましたが、本当の事故だったのですね。
後にそれを知ってショックだったからこの事故がやけに印象に残っていたのではないかと。

さておき、この話の判らないところは、
この先輩、後輩を励ましたかったのかビビらせたかったのか。
結果として後輩が辞めてしまったのだから或いは彼女本当は嫌われてたんちゃうけ?とか色々想像してしまいます。

この事故機の落下現場となった場所は、現在「慰霊の森」と名づけられ、慰霊碑が建てられ今も奉られています。
そして、その公式に行われる慰霊祭は33回忌の今年、今日で最後です。

回収されたボイスレコーダーには衝突したと思しき時刻に機長の叫び声が入っているそうで。
何度かテレビでも放映がされたようですが残念なことに見た事がありません。

この事故では当初、マスコミがこぞって生きて帰ってきてしまった自衛隊側を悪者扱いしました、
結局、最終的に国が下した判決では全日空機が規定の領空を外れて当日飛行していたこともわかり、イタミワケ、という感じの結末だったようですが、
たとえ全日空機が領空を違反していたとしても乗ってる乗客には何の罪もないことですし、やはり自衛隊を悪にしてしまうもの人情ですけど。

当時の文献をみても、ちょくちょく聞いたゴシップめいた噂などを集めたところなどによると、遺体の状況は相当酷いものだったらしく、
そりゃ、上空8000メートルで機体が分解して地面に叩きつけられた遺体の損壊状況など想像しても余りありますし、

遺体の回収検分身元確認縫合などに関わった方の話というところの「外人の遺体は国の体面を気にしてちゃんと確認して縫合したのに、
日本人の遺体に至ってはおざなりで、右手を2本つけてしまった遺体までもがあった」とか、これは出所不明瞭な噂ですが、それを恨んで被害者が化けて出る、とかそんな噂をも信じてしまいそうな、どう素人考えで考えて見ても相当広範囲に渡って飛散した遺体を「回収しきった」と言い切るには僅か一日(翌日31日に全遺体回収と報告)では早すぎやしないか?という事実や。
一度捜索が打ち切られたのに実は回収し切れておらず森のいたるところで遺体の一部が後にも多く発見されたことから異例にも再度捜索が行われた、
とか。これも出所不明瞭な噂ですが。
あるスチュワーデスの遺体の頭部がどうしても発見できず、仕方なしに諦め、胴体部を検死解剖したら何と頭部が胴体部の中から出てきた、とか。

まあ、最後のはわかる気もします、とは言え「胴体らしき部分」の中から「頭部とおぼしき部分」が出てきた、というくらいのものでしょうが。
あと、「外人の遺体は国の体面を気にして」というのもありえない話ではないなと思いますよ、当時こんな事故は前代未聞だったし、国がちゃんとした対応を持ってなかったから相当焦っていたというのもありえそうです。

嘘か真か判らないものが多いのですが、まだまだこの事故に対する興味は尽きません。
不順な動機を持ちたくは無いと思っていますが。

今日という日はひとまず犠牲者の瞑目に付すのを優先してこれまでに致しますが、
2度とこんな悲惨な事故が起きないよう心から祈りたいとおもいます。

162名の尊い命に、合掌。

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2003年 7月21日

えー、と。
本来ならメールなどを頂いたらちゃんと逐一返す心積もりで居るのですが。

えー、先日、某超有名猟奇サイトで私がお絵かき掲示板に描いたちょっとアレな絵(勿論このサイトのどこにも掲載してない)を目撃してご報告くださった貴女様、どうもアリガトウ御座いました。
まぁ、たまにしかここへは来られないそうですんで多分見てらっしゃらないでしょうが。

しかし、まさかバレるとは思いませんでしたのでメールを頂いたときにはしばらくPCの前で椅子の背もたれにダラリともたれかかりながら虚ろな笑いを浮かべておりました。

HNも変えていたのに、
やはりカキコしたサイトが大手過ぎたのが敗因でしたか。

いや、しかし、そっちのサイトは大手でもそのサイトを見てる人がこっちのヘッポコサイトを知ってる可能性がどれだけあるというのか、

そもそも、あの方は「悪魔くん」が好きでここにたどり着いたのか、
「猟奇」かなんかの単語で検索をかけてここへ来たのか、
あるいは両方か。
どっちにしても結構珍しい状況です。
そうでもないですか?

ちょっとアレな絵、というのは、つまり、まぁ、修正をかけなければイケないようなモノ、とでも申しますか。
ですので、アレをご覧になられた貴女様、どうか、
どうか「ぷちなまこ」のことはご内密に。

「ぷちなまこ」のことは!!!

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2003年 7月17日

何でも今年2003年の7月30日を以って、
雫石事故の公式慰霊祭が終了するそうな。なヌー。

1971年7月30日、岩手県雫石市上空で自衛隊の演習機と千歳空港発成田行きB-727型機全日空58便が空中で衝突、両機とも墜落したが自衛隊機に乗っていたパイロットは脱出して無事、
全日空機は接触直後機体が空中分解し、乗客乗員合わせて162名全員死亡、当時の航空機事故としては最も最悪なものであったと言う。

今聞いても恐ろしい事故だ。

丁度この頃になって航空機事故マニアたる私がこの事故に興味を持ち始めた時にグッタイミンッ、
恐らくは最後とあって今年くらいは少し特集が組まれたりするかもしれない。
資料集めに困窮していた私にとってはまたと無いチャンス、見逃す手はない。

それにしても、もう33回忌か。
事故当時、もちろん産まれてないけど。

さすがにこれくらい前の事故だと資料を集めたくともなかなか出てこない、
日航123便の墜落事故くらい新しければいくらでも資料が出てくるし、
逆に洞爺丸事故くらい古くなるとこれもこれで色々出てくるのだが、

この32年という年月は丁度微妙で、古すぎて「歴史」になるでもなく、「記憶に新しい」訳でなく。
でもたったの32年前のことなのに。

一瞬、30日の慰霊祭に参加すべく急遽一人旅を計画しかけたが、駄目だろうか?

猛烈に是非行きたい。

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2003年 7月13日

今一番行きたい場所。

1・岩手県雫石市「慰霊の森」

2・青森県八甲田山「雪中行軍遭難記念碑」

3・群馬県上野村(御巣鷹山)「昇魂の碑」

別に心霊スポットめぐりがしたいわけじゃない。
そもそもこういう大きな事故災害があった地をすぐ「心霊スポット」扱いするのは非常に気に入らない、
特に遺族が存命しているくらい近代の事故に至っては絶対に。
ちゃんと慰霊の気持ちをもってめぐりたいと思っている。
御巣鷹山は地理的に一番近いが記憶に新しい分、一番行きづらいかも知れない。

なんにしても私には海外旅行なんかより遥かに魅力的に写る。

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2003年 7月12日 (2)

記事消去

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2003年 7月12日

毒吐き?エロ話?妄想の数々?イニシャルトークでここまで言ってよろしいのかしら!?
多分、どれでもない。

ただ単にこっち(うたきの森)を見てる人があんまりいないから気がね無く後ろ暗いことが書けるかな?と。
あと、そんなに更新する気が無いし。
とゆーか、表ですらたいした訪問者数でもないのに、なに?その厳重さ。
自意識過剰なんじゃないだろうか?多分、そうだろう。

とりあえずあんまり見る人が増えないことを祈りつつ。

じゃ、何の為の主張だと言えば。
心に秘めるも鬱積するし、表に書くにはあまりに地味、多分、理由はそんなところ。
それにしてもすごくシンプルでイイ、表が黒で、裏が白。


ふと、思ったこと。
ウチのサイトは訪問者参加型コンテンツという物が表の掲示板しかない、
まぁ、無論大半のサイトがそんなもんだがどうも最近、自身、この閉塞感が気に入らない。
とはいえ、
お絵描き掲示板なんかだと私が真っ先に放棄してるのは確実だし、
裏に掲示板を付けたところで閑古鳥に耐えるのは表の掲示板だけで十分だという理由でこれまた付ける気は無いし、チャットとかも同上の理由。

以前、知人に「裏に書きこみしようと思ったけど掲示板が無い、掲示板も隠しなのか?」と聞かれたのを思いだし、多分、こんなことを言ってるのだろうけど。

自分のことなのに「多分」を多分に多用する。
自己の不安定。

人気のあるサイトならまだしも、このサイトレベルで参加型コンテンツを創る度胸は無い、到底無い。
よく言えば慎重派。悪く言えば気がスモール。
そんなジレンマに陥ったとき、いきなりサイトを閉めたくなる。


前に出所が少々怪しい薬をとある殿方からいただいた、
所持してるけど何の薬かわからない、その殿方とは多分もう合う機会もないであろう袖すり合うも他生の縁、

包装に記載されたコード(UPJOHN 10)のみを頼りに、某有名薬剤検索サイトで検索したが出てこなかった、
あるいはかなりヤバイ薬なのかと期待も膨らむ。

直接コードのみで全サイト検索したら思いの外アッサリ判った、

ハルシオンだった。
有名な薬だ、でもそんなに珍しくもない。

第一1錠だけじゃな。
それに要らないし別に。