K-KYOの徒然記

ココは管理人のばかたれが日々思ったことなどをつらつらと綴っています。
しかし基本的に根気がないので毎日更新、と言うわけにも多分行かないだろうな、と。
というか日記じゃありません、日々思ったことを綴るだけです。
更新は特に告知してません。
微妙な時間に更新することもあるかもよ☆彡


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02年9月29日 第2次家庭内紛争
穏かに時間の流れる本日日曜日の昼下がり、
昼食に使った食器を洗う私と洗濯物を干す母、
そのとき玄関のチャイムが鳴った。
私は洗いものをしていたので手が離せなかった為、代わって母がインターホンに応じていた、

「ハイ、結構です。やっちゃってください」

相手にそれだけの返事を返すと母はインターホンを置き、再び洗濯物干しに取り掛かっていた。
どうやら家人が直接会って応対する必要のある客人ではなかったらしい。

さて、私は食器を洗いながら考えた、
「やっちゃってください」に対応する相手側の要求は何だったのだろうか?
家には関係の無いことで母がそれほどアッサリとGOサインを出せる事柄とは何であろう。以下の3つの答えを考えてみた。

1・「すみません、お隣の○関さんを殺しに来た者なんですけど、よろしいでしょうか?」
2・「すみません、USエア・フォースの司令官ですがイラク爆撃を派手にやらかしても良いでしょうか?」
3・「ニイタカヤマノボレ」

まず1・殺し屋さんである、しかしいかにお隣の○関さんが、ただお隣だと言うだけで会えば挨拶は申し訳程度に交わすくらいの人間関係の希薄さが取り立たされている現代社会を反映したような間柄とは言え、もののアッサリ暗殺を容認するとはあまりにも非道ではないか母よ、いや、それ以前にそもそも殺しを頼まれてきた人が只のお隣さんに了解を得にわざわざやってくるとは想像し難い。突然にその人が良心の呵責に捕らわれ、しかし誰かの許しが欲しかったとしてももう少し自分のやらんとしてることに了解を得るのに的確な人物がいそうなものである、したがってこれは有り得ない、ということになる、

その次2・であるがこれは難しい問題だ、戦争と言うのは概してこちらから見れば向こうは悪、向こうから見ればこちらが悪という一方に勧善懲悪で決められるものではない、ましてやあのセンタービル同時多発テロの時のようにリアルタイムで映像が流れそれを私たちが目にする機会がやってくればその凄惨な光景に怒りを覚えさせることも容易いだろうが、イラクで誤爆などの憂き目に会った方々の所にもよしんばテレビカメラが設置されていたとしてその光景が全世界に放映されようものなら世界の非難の目がアメリカに向くこともまた容易かっただろう、どれを悪として攻撃対象とするかは本当に良心ではなく互いに及ぶ利害で図る以外に無いのだ、悲しいことだが、そういう意味でも良心に捕らわれもせず空爆にさらりとオーケーを出した母はある意味割り切った勇敢な人物だと言えるのかも知れない、人によってはそれを悪と呼ぶのかもしれないが、しかし、そもそもUSエアフォースの司令官が日本の一平民である我が家の母に、あまつさえわざわざ出向いてインターホンなどと言う原始的手段でその決定判断を仰がなければならないのか全く理解に及ばない、したがってこれもまた有り得ないだろう。

3・山本長官からであったか、さしずめ次にチャイムが鳴ったとき向こうが言うは「トラ トラ トラ」であろう、
ワレ奇襲に成功せり。
皆さん、歴史のお勉強ですよ、というか、うちの母は東野英治郎か、
娘である私がそうでない事実を知っている以上3も答えとして有り得ないと言う事になる。

そこまで考えて母に誰が何の用だったか聞いたら、家の敷地内に立ってる電柱の点検だったらしい。
面白くない。

ココまで読んでくださった方はもっと面白くないだろう。
最近ヤケをおこしている気がしてならない私、バイオリズムの低下が著しい。
02年9月28日 いくつかの魔法を見せるわ、本当よ
何故か、今日は朝からなつかしのアニメ・魔法の天使クリーミーマミのテーマソングが頭を離れない。
何だ。

深作監督が癌ですな、
そしてバトルロワイアルUですな。
深作監督の健康状態は大変失礼ながらとりあえずさて置かせて頂いて、
この2制作はバトロワファンには嬉しき知らせ。
これで少しは世の中のバトロワ熱が再燃してくれる事を祈りたい。

どのようなストーリーになるのかまた今度はどこのブランドが制服デザインを担当するのか、
個人的希望としては映画「ザ・セル」のコスチューム担当・石岡 暎子にデザインを頼みたい所。
そしたら今度も制服が物凄いことになるだろう(惚)
いや、完全に前作を上回るに違い無い。

しかして、どんな内容でも制服でも私は公開初日に観に行ってんだろうよ。

私が先輩こと山さんから進められ最近イチオシのアーティスト
平沢 進氏、
現在公開中のアニメ映画「千年女優」で音楽担当している、
大阪に行った際、先輩こと山さんから早速とばかりにサントラMDを頂戴した。
ロタティオン「ロータス2」
やっぱり平沢はカッコイイのである。

どうでも良いが私は平沢の曲を主に松下をイメージする時に聴く。

どうせ誰も平沢や彼の曲なんか知らないと思って書き散らしているが、
でも誰がなんと言おうと松下には平沢の曲が合ってると信じる。


そんな訳で今日、友達の姉妹と千年女優を観に行った。
微妙に文章がまとまってません。
02年9月24日  トキめいて遭遇
どーも大阪から帰ってきてからこっち、
体調が思わしくない、妙にけだるく、妙に頭痛がする。
聞けば先輩のハミさんも旅行から戻ってきてからというもの、
やはりというか私よりもはるかに体調がすぐれないらしい。

大阪でQ熱か大阪にしか存在しない未知の病原菌(しかも関西人には影響の無い・さしずめ「てなもんやウィルス」とか)でも連れ帰ってしまったのだろうか?と本気で疑っている。

そう言えば最近こんな事が有った。
ファーストフード店で
烏龍茶をたのんだら、店員のお姉ちゃんに「ミルクとお砂糖はおつけしますか?」と聞かれた、そんな烏龍茶の飲用の仕方をした事の無い私は「なヌ!?」と思った、
慌てて「いえ、結構です」と断った、
その時は「何か勘違いしたんだろう」と流しただけに終わった、

しかしそれから数日もしないうち、
今度は別のファーストフード店にて再び
烏龍茶を頼んだらそこでも「ミルクとお砂糖はおつけしますか?」と聞かれてしまったのだ。

ここに来て私は考えた、
そう言えば話に聞いただけだが世の中には
「麦茶に砂糖を入れて飲む」という嗜好をもつ方々がいらっしゃるらしい。

我が母は東北人の為、幼少の頃より食卓には甘いものよりしょっぱいものの方が多かった、
東北にすむ方々は概して塩気の多いものの方を好んで食べるようだ、
我が母などに至っては砂糖をかたきとさえ思い常日頃からそれを口にしている程だ。
これは余談だが私は「タマゴヤキ」というものは塩で味付けするしょっぱい食べ物だと思い込んで成長してきた、
我が家ではタマゴヤキは塩で味付けが常識だった、
だから寿司屋で出てくるタマゴヤキが甘いのをこれは寿司屋だから特別なのだと信じて疑わなかった、
どうも東京周辺の一般常識ではタマゴヤキというものは砂糖で味付けする甘い食べ物だったらしい(塩と出汁で味付けするのは出汁巻玉子と言う別の種類に属するのか?)と知った時は衝撃だった、
とは言えそんな味覚で育った私には何と言われようとタマゴヤキは塩で味付けしたものしか未だに食べないし甘いタマゴヤキを受け入れようと言う気は更々無い、
甘いものがおかずになる筈が無い、
甘いタマゴなどお菓子ではあるまいに邪道だと声を大にして訴えたいほどである。
私には甘いタマゴヤキでご飯を食べている行為は、
チョコポッキーをご飯に乗せて食べているにも等しく見える。

さりとて、東京周辺に住んでる以上は邪道なのは我が一家なのだろうが。

そう言えば関西方面では塩味付けが一般的、と言う噂を聞いた事が有るような気がしてきた、
関西だったか、それとも別の地域だったか、何だか気になりだしたぞ。

詳しい内情をご存知の方は
こちらまで、ご一報をお待ちしています。

さておき、そんな習慣を持つ方々が実際に目にした訳ではないが、存在するのは事実のようで、そういった方々がいらっしゃる以上、もしかしたら
「烏龍茶にミルクと砂糖」は知らぬ間に一般常識と化しつつあったのか、では私は無様にも波に乗り遅れていたのか、ここで「ハイ」と言わないとマズイのだろうか?いや、私はそもそもコーヒーであろうと紅茶であろうとブラックで飲む主義なので別に断った所でマズイって程の事はないだろうが、しかしこれが常識化しつつあるというなら変な顔を少なくともすべきではないのか・・、

そんな妄想が私の頭を一瞬のうちにグルグルと駆け巡っていた。

少なからず答えるまで一瞬の間が有ったのだろう、
店員のお姉さんは急にハッとした表情になり、次の瞬間には照れたようなはにかんだ笑みを浮かべ、
「申し訳有りませんでした」
と出しかけた砂糖とミルクを引っ込めたのだった。

何だ、
やっぱり単なる勘違いで有ったか、
見栄を張って「ハイ」などと答えなくて良かった。

恐らくは、もしここで私が「ハイ」などと意気揚々と答えようものなら、
それが実は烏龍茶であった事実に気が付いた店員のご新造さんが自ら提唱した過ちだと言うのにも関わらず、私を変な人とあからさまに見ただろう、あまつさえ私がトレーを持って立ち去るか否かのうちに、仲間の店員達に向かって
「あの人ー、烏龍茶にぃー、ミルクと砂糖入れるみたいー、マジおかしくないぃー?」
と中傷の的にさえされていたかもしれない。こらこら薦めたのは君やないかい。

しかし2連続でこう言う事が有ると、さてはこれはもう世間の一般常識!?と疑って無駄に長い想像を逞しく巡らせてしまったところで無理は無いと思う。

しかし引くだけ引いた落ちがこれとは少々お慰みが薄かったようで・・。

たいして面白い話ではないんじゃないかな?と話す前から思ってはいたがやっぱり面白くも何とも無い話だった。

そこは体調不良って事で。
嗚呼だるい。

ところで今日、家路についてふと空を見上げたらなんと流れ星が見えた。
ここに住んでもう15年以上になるがはじめて見た、明日はいいことあるといいな。
02年9月17日  死ぬほど痛ぇ

タンスの角に足の小指をぶつけ、のたうつ松下の図




天下の救世主と言えど日本家屋に住んでる以上は逃れられぬ宿命だと思う。



02年9月10日  きらめいて最終解脱
先の腐敗の日をご覧になられた某お方より
「本物の松下はあんな可愛くねぇよ!」
と至極ごもっともなツッコミを頂戴した。

確かに最近、いや、もとよりかなり原作から掛け離れてた松下を描いていたように思う。

まぁ、原作と同じなら「私」が描いてる意味が無くなってしまうからこれはこれでも良いのではないか、
と思う昨今の私。

一見まともな主張に聞こえるが、ついさっき天啓の如く閃いた言い訳である。
所詮たわ言、騙されてはいけない。

今、話題騒然(一部で)の千年王国小説版を、何と「刀義茶屋 迷々亭」管理人こと水木マニア・いしだ氏が2巻まで所持しているとの情報を得た、持ってんなら早く言えよ。
どうやら近日、小説を2巻まで読むことが出来るようだ。

やああああああああぁぁあぁああぁああああッたぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉおおぉ!!!!
運命は我に微笑みたりゃああぁぁああああぁぁあぁぁぁぁああああああああ!!!!!

持つべきはマニア親友。

ところで今日、会社の階段で躓いて転びそうになった、
その時咄嗟の無意識で発した悲鳴が「キャー」や「わあっ」でもなく、
ドスの利いた声で「うおお!」だったのが何だか悲しい、
嫁に行けぬ訳だわい。

お、久々日記的。
02年9月9日  持つべき青森親友
私の部屋の書籍棚にこんな写真集がある

「死体のある風景」
キャサリーン・デューン/第三書館

その名の通り、
事故、殺人、病死といった諸々の理由で亡くなった方々の最後の姿を収めた写真集である。

誤解してはいけない。

私が喜び勇んでこんな物を購入した訳ではない。

贈り主は9月は1日の徒然記「田舎のデストロイ」に登場した我が青森朋友、長内だ。
このやろう姿形はまるで少女漫画からそのまま抜け出してきたかのように可憐なのにどうも趣味がおかしい輩で、私の誕生日祝いにこのような物を贈り付けやがったのだった、ありがとう。

2年間ほど前の誕生日前日、長内からの電話の第一声が
「死体の本いる?」だった。
もちろん、至極まともな神経の持ち主である私は直には返事をしかねた、
そんな私に畳み掛けるように彼女は言った、


おさ「ハンセン病で死んだ人が載ってるよ」
私「・・はぁ、ハンセン病で死亡ですか・・・?それはまたお珍しいことで・・」


おさ「あ、それと『両性具有』の写真も何故か載ってるし」
私「両性ぐゆ・・へぇえ・・」

おさ「表紙がいきなり生首だし、すごい、これはすごいよ」
私「うひゃあ」

おさ「こういうの好きだろ?見たいだろ?ん?」
私「おおおおぉ」

おさ「いる?」
私「うん」


奴のセールストークに負けた、俺は負けたよ、完敗だ。
そんなこんなでそれ以来、私は死体写真と同居しているのである。
決して気分の良いものではない事を付け加えておく。

実は私が今更ながら「青木ヶ原」というタイトルの樹海写真集(自殺者の写真ももれなく)を買っておけば良かったと、後悔している事実はさておいて。

ともかく人の誕生日と言うお目出度き日に「これを贈ろう」と思ったその友人の発想に私は物言いを付けたい訳である。

・・・類は友を呼ぶ?聞きなれない言葉だ。
02年9月4日  脳故障中
ここ数日、とてつもない疲労感に苛まれている。
そんな訳でとりあえず何もやる気が起きない。

どうした事やら?

そう言えば4000HITの音沙汰が無い、まぁ、良しとする。

うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ
時間を、
時間を、
誰か時間をよこせぇえええええええええええええええええぇええっ


うたきの森全面改装の為一時閉鎖中〜。
02年9月1日  田舎のデストロイ
私の母の田舎は青森県だ。

青森、と言えば本州最北端の県である、ご存知の通り東北といえば「なまり」がひどい事で有名である。
とは言え、最近ではテレビの普及によりいかに東北地方とはいえど昔に比べるとその「なまり」はかなり薄れてきているらしい、聞いた話によればだんだんと標準語に近くなる津軽弁を話す若者達に対し、
伝統を残すために純粋な津軽弁を学校で教えているくらいだとか。

ただ、これもあくまで最近の傾向であって、
かの地に古く住むお年寄りの方々にはいずれにも適用されない例だ。

皆さんもテレビの取材などでご覧になられた事だろう。
東北地方のお年寄りが喋るに合わせ「標準語訳字幕」が出ているのを。
同じ小さな島国に住む隣人でありながら彼らの言葉に「字幕」が流れるという事態、なにも彼らは他の国の言葉を操っている訳ではないのにだ。
だが字幕無しにしては、標準語圏内に生まれた者、近代ともなればある程度地方の者でも、彼らが巧みに操る言語を解せはしないだろう。

それはまるで異国の言葉。

そうなのだ、青森県に住むは私の祖母と長男一家であるが、血の繋がった肉親であるというのに彼らと意志の疎通を測るには、我が母の通訳無しには成立しないのである。
これで肉親が金髪碧眼でも有るというなら、通訳無しには語らえぬ肉親に少々のもどかしさを感じながらもそれと同時に誇り高いものも感じ得たかもしれない、これはあくまで私の妄想に過ぎないことを一応お断りしておく。

だが目の前に座るは腰の角度が85度にも達するかというあからさまに東洋人丸出しにして「田舎ののんびりした時間の中に住まう純朴な顔」の老婆と人々だ、悪く言えば「田舎っぺ」の顔だ。


許せ、青森県は弘前市にて一度「どっちの料理ショー」から素材提供(ナムルの為だったと記憶しているが)のオファーが来たが客が増えても捌ききれぬ為に断わったと言う東京ではいささか珍しい”長モヤシ”を製造する「中○モヤシ店」を営む我が祖母よ叔父夫婦よ。


そんな田舎に母と共に帰省したときの事、
所詮母も元津軽娘であった、彼女は子供の欲目無しにして完璧な標準語を使う、だが、かの地へ戻れば一瞬にして私から聞けば他国語にも相当する不可思議な言葉を巧みに操るのだ、
おかあちゃんが、おかあちゃんが知らない人になってしまったかのよう、ああん、ああん、恐いよう。

田舎っぺの嵐の中で私が普段より一層おとなしい娘になっていると利かさんでもいい気を利かして祖母や叔父夫婦が話し掛けてくる。

判らない、彼らは一体満面の笑みで私に何を訴えかけていると言うのだ。

私の周囲を「んだべ?」「んだっきゃ」「んだんだ」「んだ」がごうごうとうねりながら支配する、
わたしは「エヘヘ〜」と笑い返すのみ、他に何が出来るというのだ。

母にすくいの視線を向けるが母はしずかに微笑むのみ、
すわ、百獣の王ライオンは自分の子を千尋の谷に突き落とすというが、それか?それなのか母よ?

後で母と二人になってそのことをなじると、
「あんた、わかんなかったの?あれくらいは判るかと思ったのに」との答え、
「あれでもあの人たち、標準語喋ったつもりなのよ」
恐るべし、東北なまり。

そんな母は津軽弁バイリンガル、
これっぽっちも尊敬に値する響きが見えないのは何故かしら?

青森県在住の方、もしも見てたらごめんなさいよ。
でもどうしてもあなた方が喋る言語が日本語に聞こえません、ぺっ。

叔父夫婦には2人の息子がいる、次男坊の名を「あつし」と言うのだがこれを我が母は「馬鹿な名前を付けたものだ」と密かに冷笑していた、なにが馬鹿だと言うのか?
答えはやはり津軽なまりにある。
彼らの言語にはいくつか標準語を操るものにとっては理解に及ばぬ特徴がある、その一つに何故か「す」と「し」の別がほとんど無いというのがある。
彼らに言わせると「すし」などは「すす」になってしまうと言う事態が起きる、
なるほど彼「あつし」は生まれて此の方青森を出た事が無い人間だ、したがって彼の名前はずっと「あつし」ならぬ「あつす」と呼ばれてきたのだ、自分達が正しく(標準語を正しいとするなら)発音できない名前を子に付けるとはある意味天晴と言おうか批判的であれば愚かと言おうか。
正確には「す」と「し」の中間音であり、限りなく「す」に近い「し」、と思って下されば良い、ニュアンスはお判り頂けただろうか。

そしてここにもう一人、我が朋友にして同じ青森人を父にもつ「長内」がいる。

高校からの付き合いで幕末刀議会や劇団を共にやっている友達だ。
彼女とは青森の話題を話し始めると尽きない、
青森に関する事柄を共有できる貴重な人材だ。

「リンゴはやっぱふじっすね」
「いわき富士最高っすよ!」
「津軽漬けってメチャメチャ上手いよね」
「津軽漬けなら小さい袋のだね、ダイヤ漬けは駄目だ」
「菊食うよね、やけに」
「イタコ、霊呼ぶッス」

と言った具合に。

彼女自身の体験談ではないがこれは彼女の母(こちらは標準語圏内人だったと記憶する)が青森で味わった屈辱の話だそうだ。
これも彼らの独特な言語にまつわる特徴の一つに関するエピソードになる。
彼女の憤慨を娘、長内は細心に語ってくれた。

昔、まだ娘、長内が幼少の頃青森に来た時、
この見知らぬ地で「キンカン」を買いに長内の母は一人は出掛けたそうだ、
近在の小さな薬局でそれを買い求めようと立ち寄り「キンカンください」と申し述べたところ、
中年の店主の反応は鈍かった、しかしこれほどメジャーな薬を販売してないなどと言う筈はない、
それに青森に住む主人の家人より頼まれた使いだったのだから確かだ、
彼女はもう一度「キンカンです、キンカンください」と言ったがやはり店主は「そんな物は知らない」と言った表情を浮かべたそうだ。
かみ合わぬ会話にじれったくなった彼女の目の端に「それ」は映った、

黄色いパッケージの「キンカン」だ。

彼女は店主の後方の棚に陳列するそれを指で指し「それです!」と言った、

指先を辿って「それ」を目にした店主は何故かカラカラと笑い出したのだそうな、
彼曰く

「お客さんあれは「ツィンカン」ていうんだ「ツィンカン」、それじゃじゃわっかんねよ〜」

と。

「間違っているのは私か?!それともお前らか!!!」
そんな叫びが聞こえるようだ。


恐るべきは東北人。
こんな青森に幸あらんことを。

02年8月の戯言
02年7月の戯言

貴様の戯言など聞きたくないわ